2000/11/23 きくちゃん、50代、映写技師さんの発言:
デカルトの有名な「我思うゆえに我あり」の論理は、「我ありゆえに我思う」の論理の反論の前には、「タマゴが先かニワトリが先か」に通ずる「抽象論」に陥ってしまう危険があるように思えます。
そのような危険はありませんから、ご安心下さい。この命題は、人類の思想史上で歴史の発展過程で確立された人類の財産です。
もちろん、形式的に、よくあるように、「我ありゆえに我思う」という命題と、単純に比較並列され得るようなものでもありません。
「これは真理」と主張するのは簡単ですが、抽象論を「これが真理」と確定させるのは、「その人の思想的立場によって定まっている傾向」のような気がします。
この命題の真理は、人類の思想史の発展上において確立された具体的なもので、個人の恣意的な判断によるものではありません。だから、現代にあっても生きて輝いておるのです。
論理的に「方法的懐疑」が正しいとしても、だからといって、方法的懐疑の論理に反した論理構成が展開されたからといって、ただちにそれが間違っているということではないと私は強弁をはりたいだけなのです。
私は党員の”アカシ”の無い方々が、何を言おうと、それは、論理過程における命でもある明晰判明な大前提にはなり得ないと、申しておるのです。