こんばんは。
「保守」の地域経済分科会です。
0.はじめに
本稿では、日本共産党のここ10年の選挙戦略と勢力変動を踏まえ、21世紀初頭、とくに来年参院選、2003年統一地方選、2004年参院選、2007年統一地方選、参院選、くらいまでを視野に入れて愚見を簡単に述べたいと存じます。
1.ここ10年の情勢
ここ10年の情勢は、とりもなおさず、「自民党支持層の腐食」であると愚考致します。
89年参院選で大敗した自民党ですが、90年総選挙では復調しました。しかし、92年参院選は得票総数は伸び悩みました。しかし社会党がずっこけて、89年当時、自民から社会へ流れた層を失い、結局自民大勝に終わりました。しかし、一旦自民から離れた層は戻る事はありませんでした。
93年総選挙では、自社ともに大敗を喫し、新生、日本新党、さきがけが脚光を浴び、非自民連立政権が誕生。
しかし、94年、細川首相は自らのスキャンダルで退陣し、政治家全体への不信が高まりました。そして羽田内閣も短命に終わりました。
こうした中で自民党と社会党が手を組み村山内閣が誕生。しかし、マスコミが村山内閣への批判ばかりをしていたこともあって、政治不信は募るばかり。
95年統一地方選挙では、「青島・ノック」現象となり、参院選では投票率が低下して、公明票に支えられた新進党と、この5年間、筋を通しつづけて信頼を得つつあった日本共産党が躍進しました。
96年入ると、景気が回復し、自民党はすこし復調しました。選挙制度の歪みもあって、96年総選挙では自民党は政権を維持。しかし、以降自民党は猛烈な規制緩和、財政緊縮へと突っ走ります。
なぜ、こんなことをしたか。
自民党はいままでは、高度経済成長率の果実を幅広くばら撒く事で、大企業や農協と言った本来の支持層はもちろん、都市部の労働者や零細企業までも浸透して行き、「国民政党」を名乗ってきた。
ところが、経済成長率は低下。また外国から農産物自由化などの要求も出てくる。そうなると,誰かの利益を削ることなしには誰かを満足させられなくなります。
その表れが「橋本内閣の暴走的改革」です。
しかし、97年に入り、消費税、医療費アップは消費不況を招き、また、ビッグバンの中で金融恐慌も迫りました。
98年参院選では、橋本内閣に耐えかねた多くの中小企業やサラリーマンなどが、自民党から民主党や日本共産党に流れ、都市部では自民党は潰滅しました。
ところがです。ここで小渕内閣が登場し、すこし流れが変わります。
日本共産党は、それ以降も「保守層」取りこみを図る。ところが、自民党も対抗して、規制緩和の延期や、業界の利益を守る事を打ち出した。
日本共産党は、保守層に人気を取るために、「右傾化」その分「革新」層が逃げつつあった。そこへ来て、小渕内閣、ついで森内閣の中小零細企業への保護策。目先の対策とは言え大きな効果はありました。
こうして日本共産党は後退。自民、公明も意外にも潰滅せずに踏みとどまりました。広島県内でも、薬剤師会とか酒屋さんが一時日本共産党に傾きかけていたのですが、あの亀井君の規制緩和見なおし以来、「与党支持」で固まってしまいました。
社民党や自由党が「はっきりモノ」をいい、「革新」層やこころある「保守」層を取りこみ躍進したのです。
2.保守に擦り寄ろうとして変に筋を曲げるな
そもそも「保守」にすりよろうとして筋を曲げたのは失敗でした。
むしろ、筋を通していったほうが、万が一自民党や公明党がその場しのぎで、規制緩和反対などを打ち出しても、最悪元の「革新層」は確保できます。
そして、もし自民、公明が、橋本的改革を強行するなら、自然と「保守」は日本共産党に寄ってきます。民主党は新自由主義的ですから、商店街とかの人の間には却って人気がないかもしれない。
医療法改悪の話、消費税の話なんかでももっとガツンと発言して行くべきです。
あと身近な街作りの話。どんどんやってほしいです。本当に本県などオール与党であり、広島市と広島県も仲が悪くて重複投資ばかり。そんなお話も日本共産党の方からうかがいましたが良かったですよ。
県議会とか、市議会でがんがんやってくれるのは日本共産党だけと感じたものです。
あとはそれをいかに国政でも勢いにつなげて行くかですね。
3.党内民主化は進めてほしい
一方で、党内の民主化は進めてほしい。その兆しはあります。「かえるねっと」が各地に出来ているようですが、私の地元の広島に限って言えば、党外、自民支持者も交えて活発な議論が展開されています。他のところでは、議論は許さないと言うのもあるようですが。
まあ、どうせ自民党も民主的とは言いがたいのですが、だからといって日本共産党が非民主的であっていいはずはない。自由な議論をするは雰囲気がほしいです。し、IT革命の時代です。出来ないはずはありません。
HPでも双方向性を持たすとか。工夫はいろいろあるはずです。