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一般投稿欄

「前衛」所収論考に学ぶ

2000/11/11 大塩兵七郎、50代、会社員

自衛隊容認論の容認論その2

 先に、この主題で、11月3日中央憲法会議・東京憲法会議主催 憲法公布54周年記念・学習討論集会における日本共産党参議院議員緒方靖夫氏の大会決議案弁護論を紹介し論評を加えた。私としても、目からうろこが落ちるような説得力有る決議案擁護論に出会いたいと期待しているのだが、容易に出会えない。たまたま、やや趣の異なったかおような擁護論を読む機会があったので、これについて、論評する。
 その擁護論とは、『前衛』12月号所収「対話と共同」欄掲載、島根大学教授(憲法学)渡辺久丸氏による「九条と自衛隊の矛盾解消する道」と題する評論である。
1.渡辺氏は、まず、「『自衛隊容認』とか、80年代の社会党の自衛隊『違憲・法的存在論』と同様の『右転落への道』などと中傷する人もいる。しかし、これらの論評はあたらない。」という。氏は、旧社会党の「違憲・法的存在」と22回大会決議案における自衛隊政策が異なることを強調して、次のように論じている。
 ① 旧社会党が1984年度運動方針で打ち出した「違憲・法的存在論」が言及する文民統制の強化といったたぐいの論法は、「自衛隊の合憲・合法を容認するもの」にすぎず、「94年に安保・自衛隊を合憲視し、自社政権に道をひらく政治論にすぎなかった。」と断じた上で、22回大会「決議案が第二段階で提起する安保廃棄後の『自衛隊の民主的改革―米軍との従属的関係の解消、政治的中立性の徹底』は、第九条の完全実施の方向に向かう確かな土台を築く。対米従属の下では、文民統制でさえ規定されえないのは、戦争法でも経験した。『法的存在』論と自衛隊解消論とでは、政治性も方向性も異ならざるをえない。」とする。
 「自衛隊解消論」の「政治性」と「方向性」への氏の熱い期待には同情できなくもないが、果たして期待にかなう政策であろうか。
 残念ながら、そのような期待に耐えない二番煎じ以下の代物である。この点については、「さざ波通信」16号所収、決議案批判の「6、決議案における自衛隊政策の犯罪性(4)」を参照のこと。
 ② また、決議案は旧社会党の政策とは法理論的にも異なるとして、以下のように論ずる。
「自衛隊法は違憲・無効である(憲法九八条)から、自衛隊を『合法(的存在)』だとするのは、法理的に不可能である。それは、政治的事実として存在するだけで、『違憲・非法』なのだ。決議案は、『憲法九条にてらすならば、自衛隊は憲法違反の存在』だと規定し、『合法(的存在)』だとは一言半句ものべていない。」と強調する。なるほど、そのかぎりでは、ご同慶の至りということになろう。
 しかし、この第二点について、急いで注記しておくと、決議案は、憲法学会の多数説に従うように見せて、<憲法九条は「一切の常備軍をもつことを禁止している。」>として、九条規範を巧妙かつ決定的に空洞化していることに着目しなければならない。縷言するまでもなく、九条の禁止するものは、あらゆる戦力=軍事力であって、「常備軍」ならざる「非常備軍=緊急事態対応軍」を認めてはいないのである。このような似非九条論が、同議案にいう「国家の自衛権を否定してはいない」との俗流自衛権論と相呼応して、しかも、常備軍たる自衛隊をいつのまにか「自衛」に有効かつ「国民の安全のために」必要との恣意的な解釈によって、「必要にせまられた場合には、存在している自衛隊を、国民の安全のために活用することは当然である。」との宣言に結実するのであって、きわめて粗雑な政策合理化の伏線になっていることは、容易に見てとれる詐術である。
 憲法学の教授たる氏が、この「九条=常備軍否定論」の虚偽に言及していないのは、極めて奇妙であり、粗忽の謗りを免れないであろう。
 「『合法(的存在)』だとは一言半句ものべていない。」と大見得を切っていただいても、党の決議案は、衣の下から鎧が丸見えの態ではなかろうか。「九条違反」のお題目を何遍声高に唱えられても、虚偽を聞き分ける我々の耳を聾することはできないのである。試金石は、政策の明瞭な選択が事実として九条規範に忠実であるかどうかということである。

2.さて、こう論じ来たった氏は、さらに擁護論の筆を進める。
 いわく、「自衛隊『活用論』についても、不当に一般化したり、段階のちがいを無視するものがいる。」と論難の矛先をしぼりにかかる。氏が切り札としたいのは、決議案の<自衛隊問題の段階的解決・憲法九条の完全実施への接近の過程にあって、自衛隊が一定期間存在することはさけられないという>「その時期に」おけるところの「活用論」だという点にあろう。即ち、<共産党が政権を掌握している段階だから、「自衛」以外には使わせませんので安心してください>と言いたいわけである。しかも、「(決議案は―引用者注)活用のケースを、『急迫不正の主権侵害』と『大規模災害』(ここでは詳説しないが、災害派遣が何の問題もないかのような言い方には注意が必要である―引用者注)に限定しているが、現実においては、とりわけ「主権侵害」はかぎりなくゼロだ。」とし、第一段階、第二段階を含めて、「日本に対する『急迫不正の主権侵害』は想定しにくい。」とひとまず断じてくださるのである。
 だとすれば、なぜ、わざわざ自衛隊の「活用」を約束して、自慢の「段階解消論」に大きな尻抜けをつくらなければならないのか、さっぱり分からないことになる。
 ここで、氏は、離れ業を演じて見せる。いわく、「現実には想定しにくいとしても、国民から「もし」と聞かれる場合はある。そのとき、必要にせまられた場合には、国民の生命と財産を守るためには、自衛隊も一つの手段として緊急避難的に活用するのは、やむをえまい。国民もそう望んでいる。」 この文面は、<国民から「もし」と聞かれる場合には、そう答えておこう>というのか、それとも、<そう約束する>というのか、あいまいな文ではある。しかし、当然、決議案に従えば、<そう約束し、実効的な手段をとる>というのが正解であろう。
 「自衛隊も一つの手段として」とおっしゃるところは、軍事力への無警戒振りを見せて無邪気である。しかし、これでは、「政治性と方向性」の違いを論じて大見得を切った「政治性」が泣こうというものである。氏の「政治性」が、日本共産党不破指導部ナンデモカンデモ擁護論という「政治性」に染め上げられていないことを祈るばかりである。
 真の政治性とは、決議案に散りばめられた機械的図式的政策ではなく、現実の安保=自衛隊の「方向性」を見極めた周到で知恵のある具体的政策を如何に提起するかというところにある。
 蛇足ながら、「活用することは当然である」とは言わずに、「やむをえまい」とおっしゃるところが、わずかながら学者の良心のカケラを見せているかのようであるが、「国民もそう望んでる」という殺し文句がなにもかも台なしにしている。活用論を説きあるいはこれを三百代言的に擁護する人々は、<急迫不正の国家主権侵害など、どうせ起こりえない事態なのだから、「活用する」といったって実害はないさ>と高をくくっているのであるまいか。 いずれにせよ、軍事有効論に立つこのような政策からは、「段階解消論」をいかに強調してみても、軍事合理性からして、当然、現在の自衛隊の追認を阻止しえないことは明瞭である。「国民も望んでいる」という軍事=自衛隊有効論に忠実である限り、自衛隊の戦闘能力を無力なものにすることはできないからである。
 かくして、渡辺久丸氏は、先に紹介論評した「侵略不存在証明不可論」による緒方靖夫氏と、最終的には同じトラックを走って同一のゴールに達したというわけである。
 しかも、渡辺氏には、憲法学教授としてのキャリアがあるだけに、事態は一層悲惨である。なぜなら、「急迫不正の主権侵害」に対して「緊急避難的に」自衛隊=軍事力を活用することなど、疑問の余地無く憲法九条は禁じているからである。『註解日本国憲法』の一節を敷衍したい不破氏の走狗の「解釈」ならいざ知らずである。
 「必要にせまられた場合」の脅かしには一切かかわらず、日本国憲法の非武装平和主義は軍事力行使についてのいかなる容認規定も設けていないのである。このことは、憲法を学ぶ普通の市民の誰もが学びとることのできる重要原則である。憲法学教授が、九条違反を公然と犯そうとする政党を、自らも九条規範を弊履の如く捨て去って、弁護しようとは、驚きの一語に尽きよう。氏の専門が、憲法ならぬ「拳法」乃至「剣法」の間違いでないことを祈るばかりである。

(付録)浮かれたカシマシ三人おばさん
 『女性のひろば』12月号に次の貴重な発言を見いだしたので、引用しておこう。
 「世界と日本の希望ある21世紀が見えてくる―語り合った日本共産党第22回大会議案」(出席者:石井郁子、安部幸代、畑野君枝)から。
畑野「(大会決議案を報じた一般新聞を見た、ある「新婦人」の会員は―引用者注)共産党は自衛隊を認めちゃったと思ったらしいのね。それで(畑野が―引用者注)『違うのよ。共産党は憲法九条の完全実施のために、国民合意をえながら、三つの段階をとおって自衛隊を無くしていく、と決議案でのべているのよ』と話したらなるほど、と納得してくれたんです。」
(中略)
石井「自衛隊問題でも、現実にここまで巨大化した自衛隊をどう現実的に解消するのか、憲法の完全実施にむけてどう進んでいくのか、ここまで共産党が具体的に整理したのは初めてだから、とても説明しやすくなったじゃない?」
 実にアッケラカンとして、患部いや幹部受け売りのオウム返しのご発言です。しかも、決議案の正確な説明さえせずに、話し言葉の「勢い」で大衆を納得させてしまうのですから、脳天気ぶりお見事というほかありません。軍事有効性、軍事的手段に徹底的な拒否を貫く女性共産党議員が一人くらいはいるのではと、淡い期待を抱いていた私がバカでした。