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パンセさんの正当な疑問について

2000/12/2 きくちゃん、50代、映写技師

 パンセさんのこれまでの主張を要約しました。

 
ここのホームページには党員欄というのがあり、書き込がなされておりますが。 ここに書いている方々の、党員としての”アカシ”は何だろうかという素朴な疑問です。そのような”アカシ”が無く、前提になる根拠が無くては、果たしてその上に組み立てられた立論や結論が真なるものであろうか、といった極めて単純な常識的な疑問です。近代哲学の父と云われるデカルトは、方法的懐疑を駆使して真理を追求し、「われ疑う、故にわれ在り」という結論に到達したことを、思い出されて来ます。

私は、公平に見て、党員の“アカシ”が無い人達が、その自称する党について、また、その自称する党に関わるとことに関連して、何を語ろうが、そこにはその時点からナンセンスが無限に再生産されるだけだと、思います。根拠の無い浮き草が繁茂するだけだと、思います。ですから、ここには「生きた情報」が生まれるようなことは、あまり期待出来ないと思います。私は、デカルトが人類史の上で明らかにした、論理の厳粛性に思いを馳せるのです。デカルトの実績にあるように、人類の思想史の発展の中で、客観的に既にケリがついているのです。デカルトは方法的懐疑を駆使し、明晰判明な真理に到達し、そこから出発したと、聞いております。
この命題の真理は、人類の思想史の発展上において確立 された具体的なもので、個人の恣意的な判断によるものではありません。だから、現代にあっても生きて輝いておるのです。私は党員の”アカシ”の無い方々が、何を言おうと、それは、論理過程における命でもある明晰判明な大前提にはなり得ないと、申しておるのです。

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