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「廣松渉を読む」拡大プロジェクトチーム②

2000/12/3 白土四平と影一族

そろそろ和解とテーブルを

白土四平と影一族

 昨日は、老人医療、1割負担についての金子勝さん(慶応大学経済学教授)の出ているラジオアクセスを、聴いていたり、先日の朝まで生テレビでの日本共産党の取り扱われ方を気にかけたりしながら日々を送っていました。
 さざ波通信16号を印字して読んだのは、11月の初旬だったのですが、この分量となると、ミニコミや回覧で読んだ方が、コスト的に、節約出来るものもあるであろうし、少数派である我々であるのだから、もっと、面識を持って時間をかけながら議論する場所を設けて行った方が良いのではないかとも感じていました。
 通話料、接続料、携帯電話からデジタル放送の時代にあって、インターネットは、便利であり、全国の読者、世界の読者にも、瞬く間に、文書を届ける事が出来るもの、又、さざ波通信の事情は、断片でしか僕は、視る事が出来ないのですが、日本共産党党員でありながら、党に、異論を投げかける為には、匿名であったり、姿を現して、公然と、問う事の出来ない性質もものとして行っているのかも知れませんし、又、そこまで、本腰を入れて、政治活動を行う言われも、家族持ち、プライベートな生活を、それぞれが、保有している以上、行う言われもなく、又、姿を晒して、テーブルを囲む事は、まさに、政治活動を、自動機械の様に、展開していく事であり、歯止めの利かないものとなり、共産党ではない、第二共産党を、例えて言うなら、先日の自民党不信任案の問題で加藤派が、党を割る勇気がなく、不名誉な撤退を行ったが如くの問題が、生じて来るであろうし、新しい党を旗揚げするとなると、私財を投げ売ったり、膨大な借金の上に、事業を起こす位の覚悟出なくては出来ないものではないかと考えています。
 僕たちも、さざ波通信も、資本主義のその方向性を、批判しているのですが、政治運動と謂うのは、その様なものであろうし、ヴェンチャー企業や事業としての側面としても考えて行かなくてはならないと謂う事を、忘却していて、奇麗事(きれいごと)のみを、これまでの日本共産党も、左翼も言ってきたのではないかと思っています。
 ですから、[経済学]が必要であり、[資本論]が必要なのではないのか!
 その骨格としてのマルクスの言説、モチーフそのものを読み違えて来ていたのではなかったのかと僕は、考えています。
 教養主義、ディテール主義であってはならない、ヘーゲル哲学批判からプルードン批判、経済学的な切断の大胆な構図によって、再確認していかなくてはならない事は、アルチュセールによっても、NAMの運動において、19世紀のアナーキストとの対立と21世紀初頭の現在においても、同じ問題に直面しているのだと謂う柄谷行人氏のアソシエーションの考えには、同意出来るものもあると僕は考えている所です。
 口先だけ、理想だけ、言葉だけであったなら、誰もついてこないのは当たり前です。組織論も政治的戦略も討議する機会も学ぶ時間も、労働者も組合も持てないでいるのではないかと僕は、現状を分析しています。
 不満があるなら、公然と政治運動をせよ、党を割れ、事業として展開せよ。
 その自動機械の鉄則の元に、加藤派も、沈黙していったのであるし、さざ波通信も、小さな力しか振るえないでいるのは、同じであり、 忘れない内に、記述して置くなら、昨日のラジオアクセスにての金子勝さん(慶応大学経済学教授)の「若者の、想像力の欠如は、甚だしく、部分ばかりを視ていて、全体を、視られない」のは……、と謂う嘆きについては、[言葉]は、抽象的で観念的な働きかけでしかなく、唯物論的転換も実践的転換も、革命的転換も、ラテン系左翼を自称する氏でさえ、基本的な事を、見誤っているからではないかと思います。
 アソシエ21もNAMも、ヴァンチャー企業である側面を持つのであって、ラジオ放送や著作活動は、広報の役割は、担っていても、インターネットもさざ波通信も、同様に、[言葉][観念論]の範囲でしかなく、組織を持って、初めて、実践的であり、革命的であると謂う事の逆説を、考察に入れて行かなくてはならないのだと謂う事に、気づいていないのか、それとも、本気で革命など望んではいないのかと謂う事を、加藤派の反乱の失敗から、それぞれが、大いに学ばなくてはならないはずであると考えています。
 さざ波通信16号や分量が嵩(かさ)むと今の日本では、接続料が馬鹿にならないと謂う事を述べようと思って、まず、[政治運動][自動機械][言葉から実践へ]と謂う事を述べたのですが、さざ波通信16号についてのみ考えるなら、僕にとっても、正論が、刻まれているのではないかと思います。
 しかし、民主党や菅直人氏の視点、政党政治の視点からの批判に対しては論破出来ているのでしょうか。
 その様なものは関係ないと言ってしまえば、議会主義の否定に繋がるのではないかと思います。
 現行の社会民主主義的修正主義の方向が良いとは、僕も、断じて考えてはいませんが、基本に立ち戻って、議論するテーブルが、我々には必要であり、ここにある混乱を相互に、学びあえる学習教育機関がが、労働組合内部に、必要であり、アソシエ21でも、毎月、悠長に、[現代史研究会]と謂うのを開いているのですが、(これについては、月刊雑誌『状況』状況出版のインフォメーションを見ると直ぐにわかる事なので確認して欲しいのですが、アソシエ21には、日本共産党研究と謂う部門も烏合、[会議は踊る]状態ではあっても、存在しています)これは、半日、13時から17時まで、そして、飲み会のパターンを繰り返しているのですが、午前中や午後も、複合して会合が持てる様にしていく事も可能でしょうし、意見交換には、是非とも、志しのあるもので、テーブルを、作成して行き、そして、インターネットと会議、そして、レジュメやプリントの多用複合によってでも、誤解や摩擦を小さくしていく努力をまず、進めて行かなくてはならないと考えています。
 NAMは、関西であって遠く行けないとしても、東京には、アソシエホールがありますが、東京23区にあっても、毎月、集まるとなると大変な移動費と時間を労するのではないかと思います。しかし、『状況』のインフォメーションの在り方も手直しする必要も感じていますが、日本共産党も『労働運動』や『経済』等々の広報誌を持っていたり、又、ミニコミでも良く、だめ連においては、それを行っているのですが、会合の機会、又は、意見交換の設置は、可能ではないのかと思っています。ただ、個人的にあっていたり、同じ言葉の応酬になっていたのでは進展しないので、相互に、意見交換をする事を躊躇してきたのだと思いますが、しかし、21世紀になる現在、その様な事を、言ってはいられないのではないかと思います。
 読む方の努力を少しお願いする様な文章にはなっていますが、メモとしても読める様に書いているのですが、これまで、伊藤誠先生と国労、新社会党で行っている[木曜塾]や[MR研究会]などにも、上記のものと平行して、参加して来たわけですが、その都度、500円の参加費が取られます。 これでは、気軽に、会う事も、議論する事も出来ないのではないのか、話したいものが、話したい者同士で集える様にしていく事であり、お金に依存しない溜まり場を作成していく事であり、しかも、定期的に行える様な区民センターなどの場所を、設置していく事が、理想として考えられていると思っています。
 東大のピンクルームなどは、無料なので、使用する事もあるのですが、人を、多く集める場合、最大限にコストの問題と内容の問題を考えて行かなくてはならないと思います。
 それぞれに500円づつであっては、来たい人間も、足を遠のかせて行くでしょうし、予備校費用や塾、私学である者、又は、子供が、その教育費を必要としている場合であっても、誰も、革命ごっこでしかない、インテリの遊びでしかない会合にも、さざ波通信にさえ、付き合わないのではないかと謂う逼迫した労働者の財布事情を本当に知って行っているのかが疑問ですし、現状を、変える気もなく、自己満足の酒やパーティマニアになっているのは、自民党と同じ状況を作っているのではないかと思って、日本の左翼や日本共産党のプチブルぶりには、憤りさえ感じています。
 基本的に考えなくてはならない事としては、上記の様な細部、基本的な事柄もまずあるのですが、 ①直接会う事の効用
②時間が会わずとも、ミニコミ、インターネットでの活発なる意見交換の出来るシステムの確立~さざ波通信のホームページは、今だ閉塞的であって、共産党内部の問題のみしか取り扱っていない、内ゲバ的ともなっていて、今の政局についての提言がなされていないと感じています。
③インテリの遊びとしない労働組合の教育学習の方向を模索せよ。マルクス主義の基本に立ち戻れ!

 後は、生テレビで語られていた日本共産党が、情報公開がなされていないと謂う事についての考察を行う予定でしたが、又、長くなるので、日を改めてと謂う事にしていきたいと思っています。
 読む方もお疲れの事であろうと思うからです。僕も、さざ波通信16号を時間をかけて読んでそう感じていたからです。