以下の文章は、よく見受けられる逆説ですし、言葉そのものの伝達する用途を不能にしていく使用例ではないかと思います。宮台真司氏の『サイファー、覚醒せよ』の中で語られているダブルバインドの変形とも思えますが、「言葉」の中の分裂症を、抑制し、それを、乗り越えて実践的問題へと転換していくのは、共産主義者のみの問題意識ではなく、深く資本主義的分裂症そのものの問題ではないかと思います。共産主義者は、このものとも、闘わなくてはならないと思いますので、多角的に今後も、言及の対象としていかなくてはならないと思います。
ジョーク篇
結構、笑えます。おもしろい。
2000/12/10 malik、40代、(庶民)
Webページを読んでいると、すごくおもしろいです。
職場にも(立派な)共産党員がいますが、彼らがいくら(新興宗教とは違う文学や文化史の生きている事の良心の研究としてあるのだと)オルグをかけても
「あ、○○さん、そんな話ね、あとにして。」
と若い(心醜豚ブス)女性社員(人の痛みもアジアの痛みもわからない利己主義的資本主義的分裂症)にいなされています。彼らも年をとってきて、(日本の知能や創造力の低下から来る退廃をみての)焦りも有るのかもしれませんが、活動自体は(方法論的にまずさもあるのは確かですが、人間性のかけらもない資本主義的分裂症の社会では)全く支持も、同情も集めていません。しかし、日本共産党はしぶとく生き残っていくと思います。なぜならば幸運なことに日本共産党は、(ジョンレノン、ゲバラ、ジョィスなどの文化的意義を読解する多くの文学ファンも多く潜在的に持っている)日本にいるからです。(ドストエフスキーの精神を忘却した)ロシアや東欧ではないからです。(精神衛星上)非常に恵まれています。
今まで我が国は、(ファシズムも自民党政治もアメリカ稚拙映画文化も)何でも飲み込んで、それをきちんと(ポップカルチャー低俗CM文化も)保存、保管してきました。将来、この地球上の国々では、日本以外では「共産党」の名前がついた団体が(人類の良心と共に人間性も)消えると思いますが、そのためにもたとえ幻想であっても、本来のあるべき形をそのまま残すべきでしょう。即ち、「保守反動」(?精神現象学、フランス革命の研究、労働者への教育と啓蒙を念頭にマルクス主義研究『資本論』読書会)に徹すべきです。そうすれば、正倉院の宝物殿(やブタ天皇制の卑劣な貴族ブルジョワ文化さえ凌駕したる全人類、全労働者的な結集の新しい歴史を新生していじめもなく全労働者家族が喜びに満ちた新しいドストエフスキーやヘーゲルの精神文化)のように、たった70余年しか持たなかった(もたせなかった内外の帝国主義的陰謀)ロシアに比べれば、1000年くらい生きていけます。
(低能文化、資本主義分裂症の社会での)「前衛」を捨てるなどと言う(事は、稚拙な社会では仕方がない事ない残念な事ですが、文学の方では残して行って欲しいと思いますし、私、malik、40代も朽ち果てる被疑者加害者として確信犯として、憎しみと腐敗といじめを生きている自虐的卑劣漢の社会で)「革命的」ことをしてはいけません!