投稿する トップページ ヘルプ

一般投稿欄

事例の意味について

2001/1/2 山下

 前回、ある程度の事例は公開しても良いのではという意味のことを書きました。もちろん、このホームページで暴露大会をやるつもりは毛頭ありませんので、なぜ事例が必要か、あるいは事例を出すということがどういう意味を持つのかということを考えたいと思います。
 第1に、事例のマイナス面です。多くの党員が指摘するように、否定的な事例については、「それは一部」という面もあります。しかし、逆に、民主集中制の正当性を示す根拠としても、事例はよく使われます。こうした事例については、「それは一部」ではなく、「組織の本質を体現する典型的な事例だ」とされます。要するに、事例というのは、我田引水的に利用されることも多く、また、自分の経験した事柄を人間は普遍化したいという欲望をたえず持っているため、どうしても恣意性の入る余地が多くなるわけです。そうした意味で、事例を出すときは注意が必要だということです。
 第2に、事例のプラス面です。民主集中制といった組織原則を考える場合にも、組織論・形式論のレベルでの批判も当然重要だとは考えますが、それでは、一体、組織上の問題が現場でどのように現れているのかという点が、非常にイメージしにくいわけです。例えば、スターリン体制のもとで形成された組織原則を日本共産党が継承しているという批判があったとしても、時代も国も民族性も異なる現在の日本共産党に、そうしたスターリニズムを直接当てはめるだけでは、同じ問題が繰り返しおこっているという批判は当たったとしても、原理原則が貫いているというだけで、具体性に乏しいわけです。民主集中制は国籍を持つので、具体的に生きた日本人に担われる民主集中制を考える必要があるでしょう。同じ組織原則であっても、例えば個人主義の根付いたアメリカ人と日本人とでは、その運用のレベルでも相当な違いが出てくるでしょう。つまり、民主と集中の関係・あり方も当然変わってくるわけです。
 第3に、赤旗には、プラスの事例しかでてこないという問題です。マイナス事例については、「個人のプライバシー」「関係者への配慮」ということで、何が行なわれているのかさっぱりわかりません。当然、赤旗紙面にはプラス事例ばかりが載るため、それが共産党の全てであるかのような錯覚を起こします。
 第4に、離党者問題との関連で指摘すべきことがあります。党員数の減退ということが叫ばれていますが、なぜ離党するのでしょうか。現在の共産党には、その分析が一切ありません。あるとすれば、反動攻勢に屈したなどというぐらいでしょう。実際には、情勢認識の甘さという側面もありますが、もっと末端組織における実態に即した分析がなければ、離党問題を解決することは不可能だと考えます。
 以上、簡単ですが、こうした問題意識のもと、次のような事例を考えたいと思います。
 最近は、大学教授のセクハラ・アカハラが大きな社会問題となっています。しかし、こうした行為を共産党員の教授が行なっている場合があります。こうした場合、まず被害者が党員である場合と一般市民の場合とでは、問題の現れかたが異なってくるので、区別して論じたいと思います。

 △党員の場合
 この場合、セクハラ問題は、党内問題となります。基本的には、党内で話し合い、解決を目指します。教授は、なんらかの処分を受けます。しかし、党内問題であるため、「口外」してはなりません。「口外」すれば、除名です。教授は、党内では処分されますが、社会的には「減給」などの処分は一切受けません。

 △一般市民の場合
 この場合、女子学生が訴えれば、当然、社会的問題となります。支部は、当然、調査に乗り出し、教授を問いただし、事実確認を行います。教授は、自己批判を行ない、党内で処分を受けます。しかし、被害者が市民であるため、これは党内問題ではなく、社会的問題です。被害者は、学部長あてに、セクハラ調査委員の設置を求めました。しかし、残念ながら学部長は共産党員でした。そこで、支部としては問題は済んでいるので、セクハラ調査 委員の設置を握り潰そうとしました。
 しかし、こうしたことに胸を痛めた支部の一人が被害者の立場にたち、立ち上がりました。当然、支部は分裂です。ここで出てくるのが、組織原則です。立ち上がった彼が言われたことは、「みんなで決めたことは皆で守る」ということでした。おかげで、彼は、「党破壊工作者」のレッテルを貼られ、離党することとなりました。セクハラ調査委員は、握り潰され、被害者は泣き寝入ったのです。T大学の事例です。

 こうした場合、私がいいたいのは、第1に、末端組織の自律性の問題です。組織論レベルでの批判は、上級機関に対する末端組織の従属制が問題となっています。しかし、現実には、自律と従属が混在化した形で展開されています。こうした問題が起り、離党者を出したという事実については、上級機関からすれば、そんなことは知らない、というでしょう(末端組織の自律性)。また、支部の一人が立ち上がり敗れ去った事実からは、この組織の末端組織の従属制がみて取れます。第2に、なぜ党員は被害者の立場に立てなかったのか、ということです。民主集中制をいますぐどうにかすることはできませんが、民主集中制の枠内において、一歩一歩、運用のレベルで改善していくことはできないのかということをこれから追求していくことが、必要だろうと思います。