西暦(新暦)2001年1月12日の「前衛」氏投稿(一般投稿欄)では、同氏による「前衛党論」が展開されている。一部に文字化けがあるのでそれが直るのを待っていたが、その気配もないので読みえた範囲で投稿する。
「前衛」氏の「前衛党」論の内容について
私が指摘するのは「前衛党論」の第二の点である。本件は必ずしも議論全体に関係するものではないにせよ、私の見るところひどく特定の立場に偏しているように思われるので、若干の指摘をする。各地の掲示板その他で問題を感じる投稿・書きこみは多いし、いちいちすべてに反応などしていられないとはいえ、本件に関する内容があまりにひどいものであり、しかもそれが「前衛」をハンドルとして用いている人物によるものだからだ。
同氏の議論は以下のようにまとめられるだろう(ほぼ氏の投稿をそのまま抜き書きしたもの)。
1) 「ロシア最初の「社会主義政党」は1889年の社会民主労働党であるが、これは諸党派の「統一戦線的」組織ではあった」
2) 「1906年に当時のボルシェビキとメンシェビキが統一した際は、「批判の自由と行動の統一」という「統一戦線的な対応」をしている」
3) 1912年のプラハ協議会で、「党を諸潮流の寄せ集めとしてではなく、今でいう科学的社会主義の潮流として「純化」し、「革命的マルクス主義の党」を確立することを打ち出した」。同協議会以降「の党が「新しい型の党」といわれ、レーニン型の党と呼びならわされてきた」。「一応、ここに「前衛党」の歴史的な発祥があると見てよい。」
以上が「前衛」氏の「前衛党」論だが、残念ながら「前衛」氏はこれらの根拠を1つも上げていない。したがって、「前衛」氏がどのような根拠に基づいてこのような主張をしたかはまったく不明である。
ともあれ、気づいた限りで問題点を指摘したい。
1)について。「1889年の社会民主労働党」が「諸党派の「統一戦線的」組織」というが、どのような根拠でそういえるか。同党は1903年の第2回大会で単一の綱領と規約をもつ政党である。その中で、諸潮流、諸分派に分かれていたということである。
2)について。この1906年の統合大会のときに党規約にはじめて党の組織原理に「民主主義的中央集権制の諸原則」が明記された。この点は無視してはならないのではないか(ただし、言葉はその前からボリシェビキ側によって使われていた)。
3)について。この協議会以後も、党内に諸分派・諸潮流が並存していた。この協議会ではあくまで1つの潮流との絶縁を果たしたものにすぎない。
「前衛」氏の「前衛党論」の立場
じつに箇条書き的でおおまかだが、気づいた点を若干上げてみた。
それでは、「前衛」氏の「前衛党論」がどのような立場のものかといえば、どうやら日本共産党中央やスターリン以来のソ連共産党の公認史観と同一のもののようである。党中央の細かな(ただし内容は乱暴でスリ替えに満ちている)議論は榊利夫『民主集中制論』(新日本出版社)などにみることができるし、スターリン時代の「公認党史」などでも同様の記述が伺える。
たとえば、スターリン時代の「公認党史」(いわゆる「小教程」)では、プラハ協議会を「この時期〔1908-1912年〕のもっとも重要な事件」と位置付け、これを境に党が「第2インタナショナルの社会民主党とは原則的にちがった、新しい型の党」だとか「レーニンの党」になったとしている(邦訳『ソ同盟共産党史』(第一分冊)、国民文庫、220-225頁)。
榊利夫『民主集中制論』でも、「プラハ協議会は、〔……〕それまでの第2インタナショナル型の党から「新しい型の党」への成長・発展する重要な画期となった」(88頁)と述べているし、不破哲三「科学的社会主義か『多元主義』か」(『前衛』1979年1月号)でも、同協議会を境に「革命的マルクス主義の基盤にたつ独自の労働者党」への転換があったとしている。
さらに、同論理は『日本共産党の七〇年』でわざわざ党史につけ加えられ、晴れて名実ともに日本共産党(そして、かつてのソ連共産党)の「公認史観」となりえたといえる(「公認党史対照表――70年代後半」(http://www5.ocn.ne.jp/~jcpc-net/taishou-70kouhan.htm)の63番をご参照ください)。
ついでにつけ加えておけば、いうまでもなく、いわゆる「分派禁止」の「決議」(規約改定ではない)は1921年のこと(それ以前も一時的なものとして行われたことがあったが)であり、「決議」として行なわれたということ自体、少なくとも組織原理として確立することが念頭におかれてはいなかったと言いうる。これが規約に定式化されたのはスターリン時代の1934年の大会でのことであり、「分派禁止」はスターリンによって党の組織原理とされた。
なお、本投稿の議論は主に榊利夫『民主集中制論』(新日本出版社)、藤井一行『民主集中制のペレストロイカ』(大村書店)を以前読み比べた上でのものである(もちろん、本投稿にかんする一切の責任は私に属する)。おそらく私の拙い文書よりはこれらの文献や「山」氏が伝言板で上げている文献などを参照したほうがはるかに有益だろう。もっとも、いまの党中央は民主集中制をもはやレーニンやマルクスによって権威づけることにさしたる意義を見出していないので、このような「出生」に照らして検証することに「実践的」価値は低いかもしれないが。
P.S.自衛隊活用問題について
党の自衛隊活用決議問題についても少々ふれたい。「前衛」氏はいろいろと決議・報告に関する解釈を示した上で、「(自衛隊の)「活用」の時期が民主連合政権以降に事実上変更されている」「今回の共産党の自衛隊政策というのは、憲法9条のサイドから歩み寄ったように見えながら、実は「武装・中立」の政策の「発展」と見た方が、理論的には分かりやすい」などと述べている(2001/1/10)。私も党がそのような立場に立つのであれば好ましいとは思う(もちろん、「武装・中立」は労働者国家の時点においてはじめて問題になる事柄であり、その点は留保が必要だが)。
しかしながら、「前衛」氏の述べているのはけっきょく、アテにはならない空手形でしかない、というのが実情である。伝統的に党中央は「なしくずし」手法で路線を転換してきた(この点、「前衛」氏も一般的には反対しないと思われる)が、その実践的意義は、「保守的」「原理的」党員をなだめるための内向きものであり、過去の諸文書などの断片をもちだして「一貫性」を演出するのは、これまで飽きるほど見てきたことである。それ故、党中央の作成する文書は都合のいいように解釈できる余地を残すことに腐心された労作が珍しくない。したがって、「一貫性」を見ようと思えばそれも可能だろう。そして、「一貫性」を信じたい党員は、信じようとして中央の文書に接するものであり(自己の経験を踏まえての実感)、そこに自分に都合のいい“党中央の見解”を見出してしまう。
したがって、中央の文書の解釈にもまして、外向きにどのような主張・実践を行なっているか、という点をリアルに見るべきである。そして、その点はマスコミ報道などにたいする姿勢を見ても明らかだろう。最近は、解散・総選挙が遠のいたことやこの間の後退をふまえてか、「護憲」運動の共闘の押し出しなど若干の手直しもしているが、党大会直前直後などはほとんど手放しでマスコミの「注目」を歓迎していたのは、「赤旗」読者ならご存知の通りである。最近は、手直しをふまえてか「誤解」された報道への不満を「赤旗」紙上では述べているが、そんなに「誤解」されている報道が多いというなら、なぜ一片の抗議もしないのか。もし、「前衛」氏のいうように「「活用」の時期が民主連合政権以降に事実上変更されている」(2001/1/10)「野党連合政権や限定的な「選挙管理政府(内閣)」などは自衛隊を「活用」する政府とは想定されていない」(2001/1/12)なら、なぜそう言わないのか――この点こそ問題である。
外向きに誤魔化しているというなら、それは論外である。もちろん、それは道徳的な意味でそういうのではなく、外向きのつもりであってもそのような「公約」をすることはけっきょく、「本音」の実現を妨げるからである(一般的にそうなるというわけではなく、この件に関してはそうだということである)。
蛇足ではあれ、自衛隊について若干述べたのは、「前衛」氏の主張に反論するためでも、賛成するためでもない。要するに、「<見たいもの>をみるのではなく、<リアルな現実>を見ようね」ということと、「大局を見失わないようにしたいね」という素朴な立場の確認である。
実質的な議論を、という提起に賛成
最後にひと言。氏の「「前衛党」規定の削除問題より、党の性格、即ち、民主集中制の実質的な内容を「集中的」に議論すべき」という「提起」にモロ手をアゲて賛成である。
近年、党中央は、実質的にはマルクスやレーニンで日本共産党の民主集中制を権威づけようとはあまりせず「近代結社なら当然の原則」云々と弁明している。1つにはこれまでの批判によるものでもあろうが、“(日本共産党の)民主集中制はマルクス、レーニンの伝統を受け継ぐものナノダ”などと説教しても、もはやマルクスやレーニンで恐れ入る党員は減少しているということだろう。したがって、それと同様に“真のレーニン型の民主集中制”や“マルクス以来の伝統”などを対置してもあまり「実践的」効果は期待できないのが実情ではないか。であれば、というかそうでなくても、実態に即して問題点を批判していくことの方が有意義だろうし、説得的でもあるだろう。むしろ、「マルクス、レーニンの前衛党論」云々の議論に囚われるのは、ひょっとしたら、党中央の「思うツボ」であり、それを狙って仕掛けたものなのではなかろうかとすら思われる(考えすぎか?)。それとまったく同様に、自衛隊活用容認問題についても、党中央の路線について実質的な議論をすべきだということを最後に確認して本投稿を終える。