前衛さんから党と大衆団体の関係についてご指摘がありましたが、いくつか疑問に感じることがりましたので、質問させて下さい。
①平たく言って、今後は大衆団体の党のフラクションを通じて、この線で党が大衆団体を指導するようなことは「しない」。党と大衆団体の関係は「オモテ」の関係として、緊張感をもった議論を行い、党の役割はその運動に対する議論や政策を示すことによって果すとしてるのである。まあ、大衆団体に存在する党員は「すきにやってくれ」ということだろう。これが「必要に応じて懇談会」を行なうということの意味である。
②当たり前の関係のようにも見えるが、これを敷衍すると、ある運動分野にかかわる党の政策がその運動を担う大衆団体の党員役員に「なんの相談もなく」突然発表されるということも「あり得る」(こういう言い方はしていないが)ということだろう。
③国民的な「多数派」を形成し、党を含む統一戦線を拡大していくためには、当然の路線だろう。但し、このことによって、国労問題で指摘されているような国労内部の党員の問題などが「党外」の問題となってくる(因みに、上村革同批判は、余り正確な議論が展開されておらず、風聞に基づくもものが多い。ネットの議論の弱点を示しているように感じている。いずれ、機会があればもう少し正確な整理をしておきたいとも思う)。
④地方の「自治権」拡充も同様の問題をはらむ。自主的に対応して、「間違ったら」謝罪をして、総括をして新しい前進を求める。総選挙などの全国的統一対応が必要な場合を除いて、各地、各運動分野でそこにいる党員が「自分の頭」で考え、大衆団体等の性格に相応しい理論・政策・運動を展開する。これだけのことである。大衆団体の役員としての立場と党員としての立場に「はさまれて」ハムレットの心境となる必要は、全くないのである。ドンドン、おやりになってください♪♪
結論は、「総選挙などの全国的統一対応が必要な場合を除いて、各地、各運動分野でそこにいる党員が「自分の頭」で考え、大衆団体等の性格に相応しい理論・政策・運動を展開する。これだけのことである。大衆団体の役員としての立場と党員としての立場に「はさまれて」ハムレットの心境となる必要は、全くないのである」ということでしょう。で、極端にいえば②のようなことも「あり得る」ということですね。
質問
1:④で指摘されていますが、これからは、党が統一して運動を進めていくのは、選挙活動だけということでしょうか。もちろん、「など」とありますが、この「など」に含まれる全国的統一対応とは具体的にどのようなものでしょうか。国労問題は、全国的統一対応を行なうべき問題ではなく、「好きにやって」もらえばよいということでしょうか。
2:①で指摘されていますが、「党と大衆団体の関係は「オモテ」の関係として、緊張感をもった議論を行い、党の役割はその運動に対する議論や政策を示すこと」とは、具体的にどのような意味でしょうか。まず、ここでいわれる「党」とは、中央の方針でしょうか、それとも支部の方針でしょうか。また、「緊張感をもった議論」というのも中身がわかりません。さらに、「運動に対する議論や政策を示す」とありますが、「示す」とは具体的にどのような意味でしょうか。「示す」だけで、実行力はないということでしょうか?
3:とにかく②のようなこともありうるということですが、問題は、「突然発表され」た後、どうなるのでしょうか。支部と中央が緊張感をもって話し合うだけでしょうか? しかも、これが「当たり前の関係」と評価する根拠はなんですか? 大衆団体の党員役員と支部の方針と中央の方針の関係はいかなるものでしょうか?
4:②と③の関係がよくわかりません。①と①を敷衍した②の内容が、「国民的な「多数派」を形成し、党を含む統一戦線を拡大していくためには、当然の路線」ということにどうして繋がるのかやはり理解できません。
結局、前衛党の削除を強調するがあまりに、大衆組織の自主性を強調しすぎるきらいがあるようにも思えます。党の方針を全く無視するか、あるいは「好き」勝手に運動を行ない、党と対立しても平気な神経の持ち主であれば、「大衆団体の役員としての立場と党員としての立場に「はさまれて」ハムレットの心境となる必要は、全くないのである。ドンドン、おやりになってください♪♪ 」ということになるかもしれません。