はじめまして。「前衛」さんの、「自衛隊活用論批判の死角」を非常に興味深く拝見させていただきました。しかし、なお不明なところもあり、論点明確化その他の目的で投稿します。なお、私の場合、非党員であることを一応宣言しておきます。また、全体の政治的スタンスとしては、「さざ波」編集部など「左派」には批判的で、ラジカルな民主主義を求める立場だと自己規定しています。
まず私にとって不鮮明な点は、「民主連合政府」と「民主的政権」の差異ならびに、いわゆる「不破政権構想」下の「野党連合政権」は「民主的政権」に含まれるのか、という点です。ご教示頂ければ幸いです。
次に、「民主連合政権」---以後政権Bと呼ぶ---に至る以前の<「野党連合政権」及び/または「民主的政権」>---以後政権Aと呼ぶ---での共産党の立場は、22大会では何か明示的に決定されたか? という疑問です。要するに、政権Aでの政策及び妥協については、党中央はフリーハンドを手にしている「つもり」ではないのか?という疑問が浮かぶのです。
第3に、「自衛隊解消の国民的合意の成熟は、民主的政権のもとでの国民の体験をつうじて、形成されていくというのが、わが党の展望である。この段階では、自衛隊の民主的改革――米軍との従属的な関係の解消、公務員としての政治的中立性の徹底、大幅軍縮などが課題になる」(22大会決議)この全体は、政権Bでの出来事か、政権Aでの出来事を含むのか、よくわかりません。
第4に、上記引用中の、「国民の体験」とは何を指して言っているのか、極めて曖昧です。その「経験」が、国民の「現在の経験」と区別されるのはどういう根拠があるのでしょうか? 第3項で述べた疑問の影響もあって、ここまでくると、何を言っているのか見当がつかなくなるのです。
全体にツジツマを合わせるための合理的な解釈の一つは、「自衛隊の民主的改革」を「課題」として取り組むが、うまく行かないので「自衛隊解消の国民的合意」が「成熟」する、というものです。
他の解釈は、「自衛隊の民主的改革」が順調に進むが、戦争の廃止が可能になる国際的な環境が成熟するという「国民的体験」によって、「自衛隊解消の国民的合意」が「成熟」する、というものです。他のシナリオもあるのでしょうか?
共産党中央は、こんな大事な問題で何を想定しているか明確にしないのは、無責任でしょう。
第5に、私の印象では、共産党中央の対応はおよそ行き当たりばったりですが、内実は、「ともかく共産党の参加する政権下で自衛隊の存在と出動を認める」以上のものを持っていないのではないでしょうか。「前衛」さんの
「今回の共産党の自衛隊政策というのは、憲法9条のサイドから歩み寄ったように見えながら、実は「武装・中立」の政策の「発展」と見た方が、理論的には分かりやすいのである。つまり、憲法と自衛隊の矛盾をかなり長期に設定しながら、憲法を改正しないで、「武装・中立」を自衛隊の「民主的改革」によって成し遂げようとするものなのである。」
という説は非常に説得力があります。この場合、「民主的改革」が、「ポーズ」に終わる可能性だってあります。安保との関連は、少なくとも明示的には党中央によっては示されていないようですから、安保廃棄なき「自衛隊の民主的改革」を、政策化することも可能かもしれません。すると、この曖昧な「路線」の元では、小沢自由党や「石原新党」との政策的接合さえ可能になるのかも知れません。
最後に、党外から共産党への要望を述べます。上述の諸疑問・諸懸念に誠実にかつ理論的に曖昧さを残さないで答えていただきたい。また、必然的に保守との妥協を含む諸政策のあれこれを議論するだけでなく、それを通じて貫かれるべき「価値」を鮮明に国民に向かって提示していただきたい。言うなれば、「価値」を鮮明にすることのできる政策連合(何らかの連合の形成の努力は確かに死活的に重要でしょう)こそを追求すること---国民の目に鮮やかに見える形で---です。具体的には、新社会党、社民党、場合によっては「さきがけ」---中村敦夫氏だけになった---及び諸NPOなど無党派の運動との「接合」を、さし当たって可能な連携プレイから始めて、拡大し、追及していくことしか、まともな革新の道はあり得ないように思うのですが。