党執行部は、言われているような、青年学生運動の遠くない過去における失敗や、下部組織の矛盾について分かっているのでは、ないか? ただ、過去の方針との整合性や、中間機関の、専従の責任追及をして、火の粉が降りかかるのを、恐れているのではないのか。党員30万(実数は20万弱と推定)の組織ともなれば、執行部の考えだけで、全てを動かすことはできないであろう。余り極端な「改革」を行なえば、専従党員や、地方議員からの突き上げを食らって、執行部自信の存立に関わるので、過去の失敗を認めずに、新しい方針を、旧方針の発展と偽って、決定しているのではないか?
その意味で、日本共産党は、その巨大さゆえに絶滅した。恐竜に例える事ができる。党内改革よりも、神戸空港反対運動のような外部からの刺激のほうがよっぽど展望があると思う。また、日本社会はそのような方向に向かって既に動き出しているのではないか。
素朴な疑問だが、党員になる意味があるのか? 入党したとき党員の「義務と権利」と書かれた小冊子を貰ったが、実際には、義務ばかりで、権利がない。ならば、一支持者として、この人なら、思い託せるという、候補者の応援をするだけで十分ではないか。党員より熱心に活動して、党決定を読んでいる、後援会員を、地域支部で何人も見てたものとしてそのような思いを持たざるを得ない。