今回、前衛の用語が削除され、その根拠のひとつとして、マルクス・エンゲルスも使用していなかったことが挙げられています。ここでは、いくつかの問題を考える必要があります。これは、私の主張ではなく、質問です。
第1は、マルクスが生きていた当時、前衛党という言い方があったのかどうか、です。もし、あればドイツ語でどのように表現するのか、誰か教えて下さい。もし、日常的に使われていた用語であれば、マルクスは意識的に避けたとも考えられます。また、当時、誰も使用していなかったのであれば、マルクスが使用しなかったのは、当然だということになるでしょう。
第2は、マルクス・エンゲルスの理論が日本に導入されたとき、たとえば、「経済」「革命」などは、翻訳の際の造語ですが、前衛という用語は前衛芸術などのように既に日本に存在した用語です。この、日本語でいう前衛とある組織原則がどのように結びついたのか、誰か教えて下さい。やはり、ドイツではなくソ連に源流があるのでしょうか? とすれば、前衛党という表現は、ロシア語ではなんというのですか? 知っている人、教えてください。
第3に、この前衛党という表現がどのように定着し、機能してきたのか、歴史的に捉える必要があるでしょう。
そうしたうえで、第4に、今回、なぜ前衛党という表現を削除するのかということを考える必要があるでしょう。
まず、「わかりやすくする」「寂しい」などという前に、概念の歴史を整理する必要があると思います。第2の結びつく際の論理に重大な誤りがあれば、廃棄するのはやもえないかもしれません。逆に、結びつく論理が正しかったとしても、歴史的に機能してくるなかで、誤りがあったのであれば、廃棄してもよいかもしれません。あるいは、全然誤りがないのに廃棄するのであれば、今回の上層部の誤りということにもなるでしょう。このあたりは、事実関係の問題もあるので、誰か詳しい人がいれば教えて下さい。