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「前衛」氏の「前衛党論」についての返信

2001/2/2 広田薫、20代、学生

 ずいぶんと素早い反応に感謝する。とはいえ、じつは私もこれからしばらくの間はいささか忙しくなるので、よほどのことがない限りまとまった再投稿はできないだろうことをあらかじめお詫びした上で返信をする。

 「前衛」氏の「前衛党論」の全体について
 「前衛」氏は「私の投稿がどの点で、これまでの共産党の議論や学問論争上の議論と異なるか〔……〕ということについてご理解をいただけなかったようで、残念である」と述べている。「「前衛」氏の「前衛党論」」という表記が悪かったわけだが、「私が指摘するのは「前衛党論」の第二の点である」と限定していたように、他の部分の「前衛党論」についてまで述べたものではない。他の部分については必ずしも党中央などと見解を同じくするものではないようであったし、たとえば「①マルクスは「前衛」という概念で「党」を説明していない。」という点はおそらく異論はない(おそらく、というのは現時点での判断で、ということ)。「「前衛党論」の一部分」とでもご理解いただきたく思うと同時に、言葉が足りなかった点をお詫びする。
 以下、「前衛」氏の提示(私が取り上げた3点への、「前衛」氏の検討)に沿って私なりの返信を試みる。
 ①について。あまり異論はない。「前衛」氏の所論では1906年まで社会民主労働党が「諸党派の「統一戦線的」組織」であったかのように読めたのでそこに異議を挟んだわけだが、どうやら見解の重要な相違はなさそうである。
 ②について。1906年に当時のボルシェビキとメンシェビキが統一した際に、「批判の自由と行動の統一」という原理で統一されたことには異議はない。問題は、「批判の自由と行動の統一」という原理で統一したまさにこの大会で党として正式に「民主主義的中央主権主義の原則」が確認されたという点を抜かしてはならないのではないか、ということである(おそらく了承されたと思うが)。
 ③について。まず、「プラハ協議会の歴史的画期性」そのものには異議はない。問題は、組織原理におけるそれである。その点では、いかなる潮流、分派と絶縁しようと組織原理上変更がなければ、この議論の上では画期とみなされないのは当然である。もっとも、こういう言い方はいささか現実離れの感があることは否定しない。実際にどのような潮流、分派と共存しているかなどという<事実関係>は<組織の在り方(組織原理)>にも影響を及ぼすから。ただし、その場合、<事実関係>の変更が<組織原理>に変更をもたらすものとはそのときは必ずしも認識されていないだろうし、変更をもたらすまでには時間差もあるだろう。したがって両者の相違は、とりわけ「原点」に立ち戻って考える上では無視してはならないのではないか、ということである。
 氏は「統一の叫びにかくれた統一の破壊について」(邦訳「全集」20巻)を引いて、

「(レーニンは)1912年「以降」の党について、「分派状態」「分派闘争」という言葉で語ることは、「過ぎ去った時期に正しかったこと」の無批判で、愚かで、無意味な繰り返し、と指摘している。」

と述べている。だが、問題はここでレーニンが述べている「分派状態」の内容である。ここでレーニンは、「分派状態の本質」として「1つの党内に2つの分派、事実上別個な2つの組織が存在していた」ということをあげたのち、現在、「1912年1月に、解党派は党に所属するものではないないと正式に声明した党と解党派との完全な決裂状態」だけが存在すると述べている(同、348-49頁)。じっさい、プラハ協議会では「解党派」と絶縁したわけだから、そのような意味での「分派状態」「分裂状態」は存在していないのは当然である。
 ブリュッセル会議の統合案については、「前衛」氏も指摘しているが、たしかに「統合の条件は、かつてボリシェビヴィキがメニシェヴィキとの統合にさいして提示したものと大差ない」というのは無理があるだろうと思う(藤井一行『民主集中制のペレストロイカ』106頁。『民主集中制と党内民主主義』は押入れの奥にあるので確認するのを省く)。しかし、同時にその会議でも「少数は、綱領上、戦術上および組織上の意見の相違を、全党のまえで、討論雑誌で〔……〕審議する権利をもつ」(同、559頁)などというように、「派」の存在を前提とした条件をつけている。
 ④について。じつはあまり異論はない。レーニンの中にスターリンにつながる部分もあったことは否定しようがない(それでもなお、断絶の面も強調すべきではあると思うが)。指摘箇所を限定しすぎたことで、ひょっとしたら誤解を受けたかもしれないが。もっとも、「連続性」を強調するのが圧倒している現状では、「断絶性」を強調するのももう少しいてもよさそうなものだと思うし、それは「守旧的」というのとは異なる、姿勢の問題であろうが。

 いずれにせよ、いろいろ述べたがおそらくこのような「教義問答」を続ければ続けるほど、ますます「訓古学」的色彩を強めていき、それに反比例して読者は減るだろう。同時に、多くの党員その他の関心からかけ離れたものになっていきかねない(おまえから仕掛けておいてなんだ、と言われそうだが、前投稿はあくまでも異なる見解の<存在>を提示しようとしたものである。早い話、あとは興味のある人が自分で文献等にあたって考えてください、ということだ)。
 わかりきったことであり、いまさらいうまでもないことだろうが、田口・不破論争にせよ、藤井・榊論争にせよ、個人的には面白い面もあったと思うが、そこにはレーニンを「絹の御旗」にして議論するという「政治的」スタンスが田口氏や藤井氏の側にも見受けられる(田口氏については、後の著書の中でその点は反省的に述べておられる)。近年では、不破議長がいまさらのように「レーニン批判」をしているつもりになっており、そこには多くの問題点もあるように思われるし到底賛成できる代物ではないにせよ、かつてのようなレーニンを「絹の御旗」にして議論するというかつてのようなわずらわしい作法をとる必要はなくなった。これによって、党中央の意図がどうあれ、大いに実態的な問題点に即して批判していくことができる。その点は「不幸中の幸い」(?)であろう(もっとも、日本共産党の民主集中制がスターリン時代のものの改悪版であることは大いに明らかにしていくべきであるとは思うが)。その意味で、(括弧内で述べた)若干の留保付きながら、「前衛」氏の提起に賛成したわけである。大いにさまざまな立場の党員・元党員・非党員活動家等々による実態的議論を期待したいし、その場合は若干ながら活動に関わった者として参加することもあるかもしれない。