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自衛隊解消論・揺れる共産党の見解

2001/2/23 前衛

 2月初めに投稿してから、大分時間が経過した。忙しくなり、私に対する質問などにもお答えする時間がなかった。状況は変わらないが、少し余裕ができたので、自衛隊解消論のその後の状況について投稿し、もって、大塩平七郎さんの私への質問等にも対応したこととさせて欲しい。

①共産党の「自衛隊解消論」の推移について
 1)昨年6月の総選挙前の「朝日新聞」インタビューに対する不破委員長(当時)の回答や、7中総での大会決議案を経て、11月の大会決議に至る段階において、自衛隊の段階的解消論については、殆ど変化がなかったが、解消に至る過渡期における「活用」問題については、「大きな」変化を示していた。これは、私の1月7日以降の数回の投稿で、基本的視点と事実関係は明確になっていると思う。
 2)朝日インタビューから、7中総の段階では、自衛隊の活用は解消に至る「過渡期」全般に及んでおり、いわゆる「野党連合政権」レベル、即ち、日米安保条約の廃棄以前にも適用されていた。また、不破インタビューを「解説」した『しんぶん赤旗』は、自衛隊の活用が12回大会以降、明確にされていた「既定の方針」であるかのような「トンデモナイ」内容となっており、同党の憲法感覚に対する世論の不信を増幅したのであった(その後、この『しんぶん赤旗』の記事の訂正が出た事実はないようである)。
 3)簡単に、「自衛隊活用」論の推移をリフレーズしておく。最終的な大会決議では、自衛隊の「活用」は、民主連合政権に参加する共産党の立場として位置付けられており、民主連合政権において、自衛隊の民主的改革が遂行されることを「前提」にして展開されるという「変更」が行なわれた。この変更自体は悪いことではないが、「なし崩し」変更の謗りを免れない。また、自衛隊の最終的な解消は、国民の体験を通じることを前提にして、21世紀の課題としてかなり「幅」を持たせた記述になっていた。
 4)私は、このような推移について、自衛隊が憲法違反の存在であるという立場から見る必要性とともに、共産党のこれまでの「武装中立」政策からの「変更」として分析する視点の重要性を指摘したのであった。それは、戦争と平和に関する同党の認識の変化とともに、憲法論の深化を前提にするものであったが、「憲法9条が社会主義・共産主義の理想と合致する」という認識以外には本格的な分析はなかったのである。

②不破「ドイツ共産党のインタビューへの回答」(2月9日付)及び上田「21世紀を『平和』の世紀に」(上・下『経済』2月号、3月号)における「発展」的見解について
 私が指摘した、共産党の政策のなし崩し的な変更について、大会以降も正確な認識が欠如したまま議論が推移していたが、ここにきて、二つの重要な見解が現れ、私の指摘の正しさをフォローするものとなっている。
 1)不破の「回答」では、自衛隊の解消について(22回大会決定の特徴は)「自衛隊の解散を将来の目標として一般的に主張するだけでなく、21世紀の早い時期にこの目標を完全に達成することをめざして、どのような道筋をとおってそこに接近してゆくかを、段階をおって明確に示した」ところにあるとされている。
 このような表現は大会決定にはまったくない。私がのべたように、共産党のこれまでの主張では、戦争一般を資本主義下において「廃絶」することは「不可能」であるというもので、憲法9条の全面実践は、そういう立場を「反映」して、「21世紀中」というアバウトなものであった。
 2)もし、「21世紀の早い時期」を自衛隊の解散(「解散」して国土警備隊などという新たな組織として再出発をするというような「まやかし」でなければ<笑い)というのは、民主連合政権の確立時期の目標とダブルので、これは「忙しい」ことになる。私は、安保条約の廃棄と自衛隊の解消は、区別をしつつも平行して追求すべき課題であると考えるので、この政策・見解の「変更」は歓迎するのであるが、理論的なハードルが沢山あるはずである。
 若干気になることは、同党が憲法違反なのは「常備軍」の保持であるとしている点であり、「常備軍」がなくなった時点を憲法9条が全面実践された段階として認識する「可能性」「恐れ」を払拭できないことである。また、付け加えるならば、安保廃棄と自衛隊解散とを「段階的」に想定した大会決議と、今回の不破回答は異なる内容となる。
 注意深く「回答」を読むと、「民主的な政府を樹立し、そのもとで日米安保条約を廃棄するとともに、それに対応する内容で自衛隊の改革と軍縮を逐次実行してゆく段階」と述べられている。微妙な変化が見られるのである。ついでであるが、不破「回答」では、「自衛隊を活用することもありうる」ことを明らかにした、と述べられているが、7中総などでは、活用することは「当然である」と轟然と言い放っているので、印象は全く異なる。
 3)さて、理論的ハードルは、第一に、階級が厳然と存在する中で、国際的な紛争が想定されながら、戦争という「別の手段をもってする政治の延長」がなくなり、軍事力を持つ必要がなくなるという状況を理論的にどう説明するかという問題である。
 「さざ波通信」でも、自衛権や仮想の紛争状態、「国を守る」必要性など、国家主権論や民族主権論と軍事力の保持を一体のものとして議論する見解が相当多数あるし、他方では、軍隊そのものを本質的「悪」と規定し、国家主権から人民主権或いは人権尊重という視点、平和的生存権の擁護という立場から、日本が世界平和に貢献する主体的な姿勢を強調する見解も根強く主張されている。「もし、侵略されたなら」という「れば、たら」の立場を超越した地平に日本国憲法は立脚しているという認識である。
 しかし、議論は直ちに、「れば、たら」「もし、主権が侵害されたら」・・・という議論に引き戻される。アメリカを先頭とする「帝国主義国」が厳然と存在する中で、戦争そのものを「抑止」する国内的、国際的な「保障」をどこに見出すのか、体験的にも裏打ちされた理論展開が痛切に求められる時代になっていると言ってよいだろう。これなくして、「21世紀の早い時期」とか云々と言っても説得力は著しく欠けるものとなる。
 4)さて、理論的ハードルの第二であるが、国際的な紛争の解決(多くは解決しないで、混迷の助長となるのであるが)手段としての戦争の放棄、軍事力の放棄という問題は、国内にあっては、「日本革命」の平和的移行という問題に帰結する。共産党は周知のように「敵の出方論」をとって来ており(「綱領上」は文言削除)、議会を通じた平和的な移行を追求するものの、どういう展開になるかは情勢によるという認識をもっている。国内における「階級闘争」の展開についての議論の深化に結びつく問題なのである。
 権力奪取以前或いは、奪取後に非平和的手段に「敵」が訴えた場合、「あらゆる手段を結集して」(と言っても、日常的に「革命軍」を組織・強化するというような方針はとらないわけであるが<笑い)民主的な政権、或いは革命政権を守ることになるだろう。私としては、20回大会決議のように「合憲的なあらゆる手段」という表現で、「急迫不正の主権侵害」への対応でも内容的に「十分」であると理解をしている。
 5)以上のように、今回の不破「回答」は大会決定を補充しているのか、反しているのか不明であるが(笑い)、私の考える方向に変化しているので、手続き以外は咎めだてすることはしないが、一つだけ、憲法認識として述べておきたい。
 憲法学の通説では、憲法9条では、「常備軍」が否定されているのではなく、「戦力」が否定されていると認識しているはずである。コスタリカ憲法などを想定しているのかもしれないが、日本国憲法では、国際紛争解決の手段としての(これ以外の理由の戦争はないのであるが)戦争の放棄と同時に戦力の放棄という点が重要なはずである。
 したがって、共産党の憲法解釈は極めて不可思議なものと考える。なお、大塩さんから私の認識を聞かれていたので、ここでお答えしておくが、国家の自衛権問題については、憲法の解釈論として9条にかかわって議論すること自体が、問題を混乱させるだけであると考える。
 通説では、自衛権ありというものが多いが、最近では、自衛権そのものの内容について、ごく「限定」した解釈が大半であろう。また、憲法全体の理解から、国家を超える(つまり国家主権を超える)地平からの平和的生存権の主張を機軸にする方向から、「自衛権を放棄」しているという認識、より正確にいえば、「国家の自衛権」から「人民あるいは国民の平和的生存権」へという理解が勢力的に拡大していることも事実であろう。
 6)もう一つ。憲法認識問題。共産党が政権を取る以前に(政権「参加」などという志の低い言葉を多用しないようにお願いしたいのだが)どういう主張をしようと、自由なのであるが、ひとたび、政権党となると憲法遵守義務が課せられるのは「当然である」。憲法違反と自衛隊を規定しつつ、これを「使用」するのは、許されないのである。そのまま「ご使用」になる場合は、合憲であると言わなければ「ご使用」になれない。では、どうするか。私が以前に述べたように「自衛隊解散・縮小・改革法」(仮称)が必要であり、有事法制も必要である。自衛隊員に団結権や争議権などを付与できるとなお良い<笑い。まあ、これは、自衛隊が現に存在するという事実を踏まえた立法政策論であるが、早急に「違憲状態」を解消することを前提として、その組織や性格を改革するということである。水島朝穂さんの非軍隊化という政策と重なる部分も多い。
 7)最後になるが(というか、もう疲れた)、上田耕一郎の『経済』論文は一読に値すると思う。私は法律の専門家ではないが、この間、憲法問題や戦争、平和問題等について「勉強」してきた文献と上田氏が引用しているものが、殆ど重なっていた。
 大会決定の説明として読むと、矛盾もあり(というか、平和的生存権などは大会では問題になっていない<笑い)無理もあるのであるが、資本主義下における戦争の廃絶などにも言及しており、示唆が多い。
 一つだけ、大会決定との関係で指摘しておく。自衛隊の「活用」を上田氏は、「第三段階に至る過程」、つまり、民主連合政権において自衛隊が改革され、「さあ、自衛隊解消だ!」という段階に至る過程での「話」と、相当「限定」しているのである。これは、不破「回答」より、一層踏み込んだ理解である。というか大会決定の解釈としては「無理」かもしれない<笑い。これで、上田氏が処分の対象にならないようなら、私もこのような議論の驥尾について、大いに解釈論を展開しようと思う今日この頃である<爆。
 というわけで、議長や副委員長が大会決定と異なる見解を、わずか2ヶ月後にのべるような事態であれば、東京の代議員が主張したように、自衛隊活用論は、せめて「継続討議」にしておけばよかったのではないか、と本当に思う。「当然である」という傲慢な言葉を、文脈の違う文章のなかに「残す」ような面子を捨てて、まじめな党員や支持者と胸襟を開いて討論すると言った姿勢に何故なれないか、この辺に共産党の未来はかかっているような気すらする<了。