日向さん、赤い十字架さん、のり子さんの投稿を読んで..少しだけ私の思い出話におつきあい願います(笑)
私は70年安保・71年沖縄闘争を機に自ら民青に加盟し浪人時代ブランクがあったものの、大学入学後しばらくして入党した経歴の持ち主です。~まだ党員です(^^ゞ
大学では、言われるような権威主義的な人間は少なかったと記憶してます。人間関係も、いわゆるサークルのような良好なものでした。~暴力を振るう某派から身を守るため必然的にそうなったのかもしれません。
印象に残っていることふたつ..
1.先輩党員からのアドバイス
「授業にでられないようであれば、活動スタイルを改めなさい。身を犠牲にするのは本人の自由に属することだが、たとえばそれで就職失敗しても党が補償するわけではない。」
この先輩はバリバリの活動家でしたが、教員試験受験時は、党費を払う以外の活動を断って合格。
もちろんその後もマイペースでバリバリ(笑)
2.離党
やはりバリバリ活動家だった先輩ふたりを離党者として見送ったことがあります。
それぞれ喫茶店で会って、離党理由を聞いて..離れても支持者でいて欲しいこと。一時期は仲間として交流していたことを忘れないで欲しいことをお願いし、最後は握手をして別れました。(卒業するので地理的にも離れることに)
「君も体に気をつけてがんばれよ」と励まされてうれしかったことを覚えています。
地区委員会へは、「規約に離党は自由とあるのでこれを認めないのは規約違反」と言って離党届けを受理させました。
共産党を擁護するために書いたのではありません。こんなこともあったという独り言です。
実は、バリバリの民青同盟員であった弟があることで情熱を失った時、「おまえには向かないからやめたほうがよい」とアドバイスし、結局やめたという話もあるのですが、これはまたの機会に...
失礼しました。