ネットの浸透によって、それまで意見も交換できないような人と自由に議論が出来るようになる。それで、強固な組織や従属的な関係が大きな構造変化を余儀なくされる。
どっかのバカ総理がいいだすずっと前から、そう、市民レベルではパソコン通信が本格化した10何年前位から、そんなことが具体的にイメージできるようになったのではないでしょうか。
実際に、「運動」面でも多大な効果が表れています。昨年のシアトルの大結集も、インターネットによるやりとりの結果というのは、もはや通説になっています。
結局、ネットの普及を「人と人との関係性をよくし風通しをよくするもの」とみるか、それとも「自分の地位を脅かし、安住する強固な組織を壊す困った道具」と見るか。
よく、日本共産党は、ネット社会を理解していない、という人が居ますが、実は共産党は一番理解しているのです。気づいているからこそ、弾圧してくるわけなんでしょう。今のような無茶な組織運営に公然と異を唱えられたら、白昼堂々と自らの組織力学の誤りを批判され、大衆的に暴露されたりしたら、自分の立場がなくなると。
党員かどうか判らない? そんなもの、共産党自らが事実かどうか「調べて」(得意でしょうから)、本当でも嘘でも、その結果を自分でネットに書き込めばいいだけの話でしょう。
嘘を言ってるかもしれない? それにしたって同じです。
第一、「さざ波」も「共産党ウォッチ」も、来る者を拒んでないじゃないですか。拒んでるのは、ただ1人、批判され、それを理由に処分を乱発する、当の共産党のみだ。
自分への反論を書かれたからって、ネットへの書き込みを自粛しろ? 従わなければ処分だ? なんて、要は、その反論に堂々と応えられないからでしょう?
要は、委員長もヒラ党員も、党員も非党員も、社長も社員も、みんなが同じ地平にある。そんな当たり前の話を、ネットが再確認させてくれたわけです。
もちろんそうしたネット社会は、性善説だけではすまされないから、2ちゃんねるのようなまさに「便所の落書き」にもなりうるし(落書きもたまには面白いけど)、逆に、人と人との本当に有意義な出会いの場にもなる。やっぱり、タテの構造を根底から変える要素が多分にある。
結局、批判する者も批判される者も、基本的に同等なわけですよ。
オカシナこと書かれたら反論すればいいし、反撃もできる。それなのにその場で反論もせず、別の場所で伝家の宝刀抜きまくってるなんてのは、要するに言われていることに事実で反論できない、そういうフラットな関係を恐れ、権威と強権で抑圧しようってことなんでしょ。
国鉄闘争をめぐって、国労本部がネットを開設できないなかで、反対派がネットを駆使して情報を提供してるもんだから、「こんなものはいかん!」とか内部文書で牽制(そのうち、共産党同様処分をチラつかせるのでしょうね)してるのも、全く同じ構図だと思いますよ。
「党員かどうか判らない」..なんてつまらない発想なんだろう。