>サンダーバードさん
見田石介方法論を後輩に叩き込んで大学教員の輩出を図っていたR大のU氏というと、たぶんあの方だろうなとは思うのですが、もしわたしの推測が当たっていたら、その方なら一昨年に癌でお亡くなりになっています。たしかご本人はW大出身だったかと思いますが、、、。わたし自身は面識がないんですけれど過労死的な壮絶死だったと伝え聞いています。ご冥福をお祈りします。
わたしは東京で彼に近い人が主宰している資本論学習会に参加していたことがあるのですが、そのつき合いのなかで、その学習会より上の階梯にU氏が権勢を奮っている「D会」とかいう全国的な研究者養成「裏」組織のようなものがあることを知り、非常に嫌な感じを受けたものです。わたしなどは「見込まれ」ず「D会」には出入りしていないのですが、友だちが「D会」に引っ張られ、そこで最終的には「お前は研究者になる資格はない」と見捨てられて、別の道に進んでしまいました。鈍亀タイプのわたしの方が、ず~っとあとになって、研究者として自立できたのですから皮肉なものです。
東京の寺子屋のような資本論学習会は、まさに見田理論を覚え込ませるような運営で、「ここはこう読まなければならない」という調子で、余り面白くなかったと印象が残っています。
同じR大をもうすぐ退任されるT氏は「外国で誰それがこう言っている」というばかりで、これまた面白くないですが、U氏もT氏もふくめて、ああいう「お勉強マルクス主義」は「左」は教条的なものから、「右」は外国崇拝的なものまで、両方ともそろそろおしまいにしたいものです。やはり現実と切り結ばないと理論は生きないでしょう。
U氏もT氏も共産党的研究者を組織的に輩出しようとした点では似ていますが、そのようにして輩出された人々のなかにはさっさと共産党を辞めた人が多いというのも皮肉なものです。「お勉強」や「研究者としての就職」と「入党」とを結びつけるなんてことが、滅茶苦茶なことだったということでしょうね。いやな歴史ですが、記憶には留めておくべきでしょう。
T氏はのちに日本政治思想史学者のM山氏の評価をめぐる考え方の違いから党をおやめになりました。そのへんのいきさつは「A」という雑誌に書かれていますが、自分が党を辞めるなんてきわめてプライベートなことを雑誌に書いてしまうところが、いかにもT大H学部的な権威主義のあらわれだなあと思って読みました。そういえば、M山さんもT氏もT大H学部。
そういうくだらないことはもうやめにして、研究者は労働者・農民との連携をまじめに考えないといけないと思います。
ではまた。