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不破氏のごまかし批判(さざなみ通信18号)は適切か?

2001/3/2 前衛

 「さざ波通信」の18号が発行された。全体として「力作」であるが、不正確な記述や適切な批判とは言えない部分もあるので、自衛隊問題に限って私の見解を述べておきたい。共産党の政策の正確な理解にたって、はじめて適切な批判が可能となるからである。
 憲法9条が否定しているのは、「常備軍」だけではない、という「さざなみ通信」の批判は私と全く同じ理解であるので、これは私とさざなみ通信の共通認識である。なお、私の、不破インタビュー批判については、2月23日の投稿を参照していただけるとありがたい。さて、「さざなみ通信」は、共産党の自衛隊政策の批判を三点にわたってのべている。引用すると以下のとおりである。

1、自衛隊の当面存続を、「力関係」の不利さによるやむをえないものとしてではなく、アジアにおける完全な平和が実現するまでは自衛隊は平和の維持に必要であるとする「自衛隊必要論」にもとづいて正当化したことである。この立場から自衛隊そのものの容認まで、数歩しかない。
2、自衛隊の解消に向かう条件として、万万万が一でも侵略の可能性がなくなってから、という非現実的な基準を持ち出したことである。これは事実上、自衛隊の半永久的存続論である。
3、そのような長期的に存続しつづける自衛隊を、必要な場合には「活用」することを「政治の当然の責務」としたことである。

 この批判は、大会決定に対する批判としても、今回の不破インタビューに対する批判としても的確さを欠く。大会決定が最終的に自衛隊の活用を論じていることから、「平和の維持に」自衛隊が必要であるという認識を共産党がもっているという「批判」を述べることは不可能でなはいが、ガイドライン法(戦争法)が、「アジアの国々が『周辺事態』なるものをつくり出すことを前提に、米軍とともに自衛隊が、地方自治体や民間も動員して、軍事干渉をおこなう体制をつくるものであり、アジアの国々を危険視し、この地域におこっている平和の流れにまったく逆行するものである」ことを正確に指摘しているし、その危険性とのたたかいを強調してる。
 また、このような動きに対して、憲法9条が果たしてきた積極的な役割にも言及をしている。全体として、共産党は自衛隊について、違憲の存在という面と、米軍と一体になった侵略的な性格の面の、両面から批判的に検討していることは事実であろう。
 1)「さざ波通信」の「批判その1」は、共産党の自衛隊政策が「自衛隊必要論」に基づいた、自衛隊による「平和維持」論であると主張とされており、説得力に欠ける。共産党の政策では、「憲法の平和原則にたった道理ある平和外交で、世界とアジアに貢献する」ことを前提として、「アジアの平和的安定の情勢が成熟すること、それを背景にして憲法九条の完全実施についての国民的合意が成熟すること」を自衛隊解消への道としているのである。憲法の精神に基づく、平和への様々な運動を横において、アジアの完全平和の実現まで、自衛隊があったほうが良いというような議論とは無縁なものと理解できるのだが、何故、「さざ波通信」がこのような断定を行なうか寧ろ理解に苦しむ。
 2)また、共産党は自衛隊の「当面存続」などを主張してもいない。「さざ波通信」のいう「力関係」の不利さによる「やむをえないもの」という理解も意味が不明である。現自民党政府下での、自衛隊問題については安保廃棄前の課題として、戦争法発動や海外派兵を許さないことなどを明記している。民主連合政権以降は、主体的に自衛隊問題に取り組む政治的な基盤ができるわけで、これ以降、共産党の自衛隊政策が「政権党」として現実的な政治課題になるわけである。
 3)「さざ波通信」の批判では、自衛隊解消論の第二段階である「安保廃棄後」の自衛隊の改革問題が全くネグレクトされているが、これは、自衛隊の解消問題とは全く関係のない問題と理解されているのであろうか。共産党が「必要にせまられた場合には、存在している自衛隊を国民の安全のために活用する。」とのべているのは、(昨年6月の朝日新聞、不破インタビューや、7中総から、大会決定へと内容が変遷しているが)、この民主連合政権下で改革が進められる「自衛隊」であるという「事実関係」を正確に踏まえた上で、これに対する批判を行うのが「スジ」であろう。共産党の主張では、対米従属性が払拭された「軍隊」ということになる(まあ、国民のための軍隊と言うのは無理があろうが)。
 4)批判その2において、「さざ波通信」は、共産党の政策が自衛隊の半永久的存続論であるとするが、「憲法と自衛隊との矛盾を引き継ぎながら、それを憲法九条の完全実施の方向で解消することをめざすのが、民主連合政府に参加するわが党の立場である」としているのである。大会決定では、自衛隊の解消は21世紀の課題であるとされていた。これは、私が指摘したように、戦争の廃絶は階級闘争の廃絶とパラレルである(『共産党宣言』)という資本主義下における戦争一般の廃止問題を共産党が念頭においている(と思われる)から、こういう記述になっていたのである。
 5)この掲示板は、進歩的な人士が集まっていると思われるが、ここでも、自衛隊問題については、国際情勢や他国からの主権侵害などの可能性、また、様々な要因について議論されており、少なくとも、私が見る限りあらゆる情勢を超越して「即時無条件、自衛隊全面解散論」を主張する方はいなかった。コスタリカなどの常備軍廃止憲法と、その後の中立宣言なども、コスタリカなりの平和と戦争への認識、即ち、情勢分析が踏まえられているのである。
 また、すでに引用したが、世界平和の情勢とともに、「憲法九条の完全実施についての国民的合意が成熟」が自衛隊解消の条件になっている。情勢次第で、いつまでも自衛隊の存続を主張しているわけではないのである。しかし、少なくとも、この板での議論をみる限り、現時点で「憲法九条の完全実施についての国民的合意」が成熟してるとはいえない(私はこの状況を肯定も否定もしない)。
 6)というわけで、「さざ波通信」の批判が正当であるのは、批判その3の「自衛隊活用」問題に限定される。私もこれには賛同をする。しかし、本当を言うと、共産党には、かつての(20回大会以前)、武装中立論からの脱却について本格的に論陣を張って欲しかった。民主連合政権下で改革した自衛隊は、改憲後の武装中立の軍事力と同じ性格のものであるとか、国家の自衛権を具体化したものであるとかなどの論陣を期待していた<笑。もちろん、それでも「憲法違反」という性格は変わらないから、これでは、ご都合主義と批判されるであろうが。これまでの、共産党の憲法論は、平和的・民主的諸原則の擁護(綱領は今でもこういう憲法認識になっているが)であった。今回の自衛隊活用論は、はしなくも、共産党の憲法認識(2月23日の投稿参照)を露呈した形となっている。この点が最大の問題であろう。

 さて、さざ波通信について検討をしてきたが、実は私の「不満」は、「さざ波通信」がこの間の共産党の自衛隊政策の変遷について、関心を示していない点なのである。
 不破インタビューで、「変更」された問題が大きく二つある。
 ①自衛隊の解消を21世紀の早い時期に「変更」したこと。
 ②自衛隊解消の第二段階を「安保の廃棄後」ではなく、「民主連合政権」にしたこと。
 ①では、共産党の戦争論の深化が要求され、これまでの戦争論「別の手段をもってする政治の延長」、階級消滅以前の戦争廃絶不可能論などからの「転換」が必要なのである。これは、『経済』の上田論文を参照するとわかりやすい。
 ②は、大会決定でのべていた「安保廃棄についての国民的合意が達成されることと、自衛隊解消の国民的合意とはおのずから別個の問題である」という認識をなし崩しに変更することを意味する。現に不破インタビューでは第二段階を「民主的な政府を樹立し、そのもとで日米安保条約(アメリカとの軍事同盟)を廃棄するとともに、それに対応する内容で自衛隊の改革と軍縮を逐次実行してゆく段階」と述べ、安保廃棄と自衛隊改革、軍縮を一緒くたにしている。大会決定では、あくまでも安保廃棄後の課題であったハズである。
 こういう「変更」は、「さざ波通信」の主張、即ち「相手に応じて言い方を変えているにすぎない」というわけには行かないのである。
 私は、共産党の議長という「公職」にある人間が、大会決定を事実上無視して、このような「変更」を「勝手に発表する」ことについて(幹部会などで、議論して発表しているとすれば一層、共同正犯というものであろうが)、強い危惧を持つものであるが、内容については、私の主張する方向に近づいた<笑、ので、「歓迎」するというアンビバレントな感情を持つのである。
 共産党の幹部諸君はこういう「事実関係」をしっかり自分の頭で理解しているのであろうか。司会者に問い詰められて「絶句」する政策委員長や、演説会などで、大会決定の文章をオーム返しにして、自分でもわかっているのかどうかわからないような弁士を見て、失笑を禁じえない。「しっかりせ~!!」と言いたい<笑い。