3/28付投稿を見直してみて、若干誤解を招きかねない部分があったのに気がついた。
それは同投稿での内容とは関わりのない次元の問題であるが、ちょうど、これはまったくの偶然であるが、「お知らせ」で出ている訂正問題とも関わることでもあるので一言二言述べておきたい。
誤解を招きかねない、というのは、第16回大会『前衛』臨時増刊の、朝鮮総連、朝鮮労働党のあいさつ・メッセージの引用である。あれだけみると相当に親密にもみえかねないが、いうまでもなく儀礼的な面の多いことにすぎない。また、朝鮮労働党からのメッセージは、本文を読めばわかるが全体としては素っ気ないものであり、たったの7行である。これはたとえばルーマニア共産党の64行もあるメッセージに比べてはるかに短い(もちろん、長ければそれだけ親密というわけでもない。ソ連共産党のように自分の主張を長々伝えてくるようなところもある)。
<朝鮮労働党と日本共産党の対立へ>
じっさい、朝鮮労働党と日本共産党とは、1968年の会談を最後に以後は1980年代の関係断絶まで会談は行っていない(「60年党史」「70年党史」年表などで確認したもの。間違いあれば指摘を願う)。
したがって、以下の「さざ波通」信編集部の訂正文は、基本的にその通りだと思う。
「金日成の独裁色が濃厚になってきた68年には、朝鮮労働党の「武力南進」政策を批判、その後批判的立場を取るようになる(ただし、そこから実際に批判的姿勢を強め党としての関係を断絶するのは80年代になってからであるが)。」
「30代後半以上の人なら、日本共産党が80年代以降もなお朝鮮労働党を賛美しているなどと言うことを信じる者はいないだろう。」
少なくとも70年代を通じて朝鮮労働党と日本共産党との関係は疎遠になっていったとみるのが妥当であろう。たしかに「建国○○周年」に祝電を送ったりという程度はあるにせよ、1971、1978年と宮本委員長(当時)みずから訪問したのをはじめ、数度にわたる会談・懇談を行なっているルーマニア共産党などと比べればごくごく儀礼的な範囲内のものである。
朝鮮労働党も初期には集団指導体制でやっており、そのかぎりで「民主的」とまではいいえないにせよ「個人独裁」とはいえないものだった。だが、やがて党内闘争でソ連派、中国派などの対立派が粛清され、「自主独立」の金日成独裁・個人崇拝体制が確立された。ゆえに、それ以前に一定の友好関係をもっていたことは、基本的には批判に値しないだろう。
なお、元「赤旗」平壌特派員で、現在党指導部に批判的立場の萩原遼氏の『ソウルと平壌』(文春文庫、1998年)でも、金日成個人独裁体制確立の「一つの大きな画期」に「一九六七年五月の朝鮮労働党中央委員会第四期第十五回総会」をあげ(184頁)、これを「軍を背景にした金日成が唯一独裁を固めるためのクーデターにほかならなかった」(188頁)としている。そして、これを画期に「朝鮮は大きく変わった。それ以前はまだ明るかった。人びとはのびのびとしていた」(204頁)と述べている。
<「批判的見地」を公開せよ>
しかし、そうはいっても、当時の「赤旗」読者や党員などにとっては、それなりの友好関係に見えてしまった面はあるのでないだろうか。さすがに80年代においては公然かつ全面的に批判を展開しており「友好」を認めようがないにせよ、少なからぬ期間において報道などでも、批判的見地や意見の相違は抑制的であったように見受けられる(もちろん、あくまで当時の報道や過去のものを読んだりした感想にすぎない。まちがいがあれば指摘してほしい。当時の方々の実感なども)。
このような、関係をもっているところへの批判的見地は公開しない、ないしは抑制的、という点は昔も今も程度差はあれ変わらないのではないか。
たしかにあとになって「当時すでに批判的見地をもっていたのだ」といわれ、そのような言い分をふまえて見れば記述に「批判的見地」が一定の形で反映しているという場合もある(たとえば、一定期間経過後のポル・ポト政権の評価など)。
だが、当時の「赤旗」読者や党員はそのような「批判的見地」にどの程度気づいただろうか。
さすがにいまの中国共産党を素朴に肯定的に見るひとはいないのでその種の誤解を与える余地は少ないにせよ、宗教団体弾圧や、ロシアのチェチェン侵略支持などについてははなはだ報道がわずかであったり(後者)、批判が抑制的(前者)であったりするのはどうだろうか。
共産党指導部によればこのような“配慮”が「プロレタリア国際主義」だそうだが、これはただの党間の関係優先といった次元の問題にすぎないのではないか。こんにちでは東南アジアの反動政府とも交流しているが、もしこのような反動政府の政権党と関係をもつようになれば、このようなブルジョア政党との間でも「プロレタリア国際主義」にもとづく“配慮”をするのだろうか? そんな無茶な!
このような党と関係をもつことの是非はおくとして、少なくとも「批判的見地」を本当にもっているなら率直かつ公然に表明すべきではないだろうか(もちろん、それは自己への批判も認めるということだ)。あとになってじつは「批判的見地」をもっていたのだなどといわれても困ってしまうし、ルーマニア共産党との関係のようにそのような言い分が疑わしい場合もある。
党と党の関係を狭い指導部の枠内に閉じ込めず、見解を公然と表明すること――これがルーマニア共産党との関係でなされた大失態再発防止に最低限必要な措置ではないだろうか。