羽柴金太郎秀吉さん、こんにちは。
あなたの投稿に関しては、非常に腹が立つと同時に、なるほどわたし自身整理しなければならない部分があるとも感じました。わたし自身の考えを整理する意味も込めてあなたのレスに対する意見を述べたいと思います。
「国民多数の願いがいつも正しいなら社会主義政党はいらないと思います。社会主義運動の後退によって国民多数がブルジョア野党に誤った期待を抱いているのは事実かもしれません。しかし、そのような遅れた大衆の誤った期待に追随してブルジョア野党と共同すれば、待っているのはかっての社会党の道だけです。」
と羽柴さんは主張しわたしの野党共闘の訴えを批判しています。わたしは国民多数の願いが正しいか正しくないかは論じるべきことではなく、国民多数の「切実な」願いに沿うことが(社会主義・共産主義も含めた)民主主義政党の「責務」と考えています。そして、何が国民多数にとっての「切実な願い」なのかを掴み取ることが政党の先見性と存在価値を証明するのだと考えています。例えば、先の衆院選で国民が民主党をのばしたのは、民主党のなかに改憲論者がいたからではありません。改憲が選択肢ではなかったのです。政官財の癒着構造とそこから生み出される自公保による国家(国民)財政の借金と国民生活を犠牲にする福祉の切り捨てなどによる銀行救済、ゼネコン救済、の政治にNO!をつきつけたのです。また、そこから生み出される不況の長期化と悪化、国民生活の不安定化にNO!をつきつけたのです。そのためにもっとも有効と思われる投票行動を国民の多数がとったのです。決して、遅れた大衆の誤った期待などではないのです。
「多数の国民の切実な願い」を「遅れた大衆の誤った期待」などと断ずる羽柴さんは、社会主義運動の失敗と悲劇から何も学んでいないのではないかと思います。そのようなことでは、より大きな不幸が繰り返されると思います。わたしは、そういった運動(や社会)を支持しません。
「あなたは40代だそうですが、細川/村山政権の教訓をもう忘れてしまったのですか。」
とのご批判ですが、細川/村山政権の教訓が何であったかが問題なのです。
細川政権は保守的な部分や反動的な部分も抱えて自民党長期政権を覆しました。しかし、その成果のうえにたって社会構造を民主的に変革する方向へ踏み出せず、小沢さんらの右からのクーデターが画策された段階で、自民党は政権への復帰のために社会党は右のクーデターを阻止するために妥協しあって自社さ政権ができたと認識しています。そのこと自体は誤りだったとは決め付けられないと思います。しかし、この後がいけません。その段階で自社さ政権は歴史的な使命(右クーデター阻止)を終えたのに、自社さ政権の維持が自己目的化して、自衛隊合憲、消費税、小選挙区制へのひきずりこまれていったのです。政権から離れたとしても、社会党はこんなことをする必要はなかったのです。「保留や棚上げ」でよかったのです。国民多数の切実な願いは、決して、自衛隊合憲、消費税、小選挙区制などではなかった(自衛隊廃止でもなかった)のです。
さて、現在の反自公保の野党共闘は、改憲や政官財の癒着構造を擁護する踏絵があって結集しているわけではありません。しかし、革新の力が弱ければ、なし崩し的に反国民的な立場が持ちこまれてしまう危険性があります。革新政党勢力の役割は、この野党共闘のなかに少しでも多く国民の切実な願いを盛り込むこと、切実な願いと無縁な党派の主張(改憲など)を持ちこませないことにあると思います。
「では、自公保政権に代わるものは何でしょうか。民主/自由を中心としたブルジョア反動政権だけでしょう。それで何が変わるのでしょうか?自公保反動政権と民主/自由反動政権の違いは、せいぜいバラマキか財政再建か位しかないし、財政再建にしても、ブルジョアジーの利益を侵害しない以上は、プロレタリア人民に負担を転嫁するしかないのです。そのような政権を支持することは、ブルジョアジーを助け、プロレタリアートを武装解除するだけです。」
「あなたの主張は、さざなみ通信編集部が既に充分批判しつくしているし、また新社会党も民主党/自由党を中心とする連合政権が自民党よりましでないことを解明しています。」
とのご指摘です。
「それで何が変わるのでしょう」という問題については革新政党や野党は真剣に考えねばなりません。
しかし、その誤りなるものを「さざ波通信」が批判しつくしているとも、新社会党が解明しつくしているとも思いません。
民主党・自由党・社民党などの野党共闘は改憲など反動的なことを踏絵にはしていません。民主党と自民党の違いは、バラマキか財政再建かだけではありません。
民主党は政官財の癒着構造を断つと言っています。菅さんは、経済は自由主義、国民生活には社会的なセーフティネットと言っています。自公保政権は逆のことをやっていると言っています。野党共闘でこうした民主党ととりわけ菅さんの政策が実現されれば、国民生活はかなり改善されるでしょう。
もちろん、菅さんが言っているからそうできるのかといえば、それは予断を許さないし危ない状況もあります。
「だからこそ」社民党は中に入って頑張っているのだろうし、共産党や新社会党や国民が野党共闘に加わって(あるいは外から支えて)少しでも多く「国民の切実な願い」を盛りこむこと、切実な願いと切り離された党派の主張(改憲など)の混入を防ぐことが必要だと訴えているのです。
そして、その過程で、わたしたちが経験を積んで考えていかねばならないのは、国民多数の切実な願いを集約しうる政策の豊富化です。菅さんの「経済は自由主義、国民生活には社会的なセーフティネット」という政策以上に現実的で国民多数の願いを集約する政策を社民党や共産党や新社会党は提示できているのでしょうか。
「新社会党は、社民党や共産党に対して、憲法改悪阻止/増税阻止/軍拡阻止/盗聴法などの警察国家化阻止/部落解放基本法制定/朝鮮との国交正常化と反安保/天皇制打倒などの統一戦線を呼びかけるべきだと思います。自公保と民主/自由の両者に断固対決することこそがその基本にならなければなりません。」
とのご主張ですが、羽柴さんや新社会党がそのような政策を考えるのは勝手ですが、今回の参院選に関しては(いくつか検討してよい課題を除いて)そういった(現在においては)党派的な政策を共闘の踏絵にせず(逆に改憲も踏絵にさせず)国民多数の切実な願いに応える政策のみを結集軸にして野党共闘を実現し、自公保政権を打倒し、救国済民を実行すべきだと訴えているのです。繰り返しますが、その闘いの過程で、国民多数の切実な願いを集約する政策を豊富化することがわたしたちの使命だと思います。
「失礼ながらそれは小ブルジョアの焦りにすぎないと思います。現在の階級闘争の力関係からすれば、現在できることは、小さくても抵抗の陣地を形成/強化することであり政権交代ではありません。」
とのご批判とご教示ですが本当に無礼な物言いです。
SOHOも含む自営業者、零細企業経営者は、無権利状態の労働者であると思っていますし、わたし自身もそうであるし、そういう人は本当に多いと思います。
わたしが小ブルジョアであるかどうかは別にしても、「小ブルジョア」も含めた国民の多くが大変な苦境にさらされ悲鳴をあげているというのに、法と予算とその執行によって国民生活にとてつもなく大きな影響を与える政権(交代)が出来ない(ブルジョア連合政権と決め付けてする必要がない)と言い、小さくても抵抗の陣地などというマスターベーションにふけっているなどということが革新の立場でしょうか。そういうのをセクト主義、革マル主義と言うのだと思います。そういう思想こそ小ブルジョア思想と言うのだと思います。あなたの言う小さな抵抗線などというものは、国民生活の苦境の大波と社会のダイナミックな大波に飲み込まれて消滅するだけだと思います。
「あなたの投稿をみて本当に新社会党なの?どうみても社民党右派か共産党じゃんと思いました。私は参院選で比例は新社会党に投票しますが、あなたのような人が新社会党に多くいるとすればかなり心配です。」
とのご心配ですが、もっと心配なさってください。わたしは本当に新社会党員です。江東江戸川総支部に所属していると何度も表明しています。都本部か中央本部にお問い合わせいただけばすぐにわかります。そしてわたしは新社会党員としての活動を通じて、あるいは機関紙への投稿や総支部での討論や決議を通じて、わたしのような考え方を新社会党の中にも広めようと闘っています。
しかし、残念ながら、共産党と同様の非民主制のために党内討論がなかなか組織できず、わたしのような考えの党員が多いのか少ないのかさえ判りません。少なくとも党の中枢は(今のところ)わたしのような考えをしていないので、野党共闘に参加も言及もしないのでしょう。羽柴さん、ご安心ください。しかし、力の限り主張してあなたの安心を覆したいと思っています。
それでも、共産党と違って、新社会党はわたしの野党共闘を訴える投稿を機関紙に掲載しますし、「さざ波」への投稿に圧力をかけてきません。わたしにとってはこれも新社会党を評価する大きな理由です。
そんなわけです(わたしは新社会党を支持しています)から、羽柴さん、比例区期待しています。野党共闘の推進と勝利、政策の豊富化、そしてその闘いを通じた新社会党の比例区での議席奪還のために闘います。