前衛さん、丁寧なレスをいただき感謝します。おもしろく読ませていだたきました。前衛さんの投稿には「笑い」が多くて、(三浦つとむではないが)あまり快く読むことがなかなかできません。今回のようなものだと素直に読むことができます(どうでもいいことですが、そういう読者もいるということを念頭においていただければと思います)。
私も、なかなかの論者である前衛さんを言い負かそうなどという気はぜんぜんありませんが、80年代の社会党との違いはぜんぜん「明確」でないので、その点につき改めていくつかの感想を述べたいと思います。
1、「社公合意」の最大のポイントは「安保の容認」??
澄空さんが、どういうように社会党の「右転落」或いは「社公合意」について、批判をもっておられるのか、よくわかりませんが、最大のポイントは「安保の容認」ということだと思います。ですから、この点で、22回大会での志位書記局長の「報告」と「結語」の批判の仕方は適切であると思っています。
確かに、私が入党した頃(80年代・・・と幅を持たせておきます)は、「社公合意」によって社会党は「安保の容認」になったと党内では言われていましたが、前衛さんは、そのときのわが党の批判が完全に正しかったと考えていらっしゃるのですね? 当時、社会党と公明党は暫定連合政権で合意したものの、特に安保問題や原発問題をめぐっては両党のへだたりが大きく、ひきつづき協議事項だとされていたばかりか、ときには安保をめぐる問題で、社会党の側から公明党に対する公然たる批判も行なわれていました(不破=志位指導部の言う「競争相手としての野党批判」なんてものは、このときの社会党に見習えばよろしい)。社会党が党として実際に「安保の容認」へと転換するのはもっと後のことです。そのような「時間」という軸を無視した志位報告の言い分が正当であるならば、わが党も「不破政権論」を出した時点ですでに「安保の容認」でしょう(私の基本認識としては、現在の共産党は、80年の「社公合意」と同程度の右転換を完了したと考えています)。
社会党の「独自政策」では、安保問題は「日米安保条約を外交交渉を通じて解消します。その際、日米安保条約第10条の1年予告の廃棄条項も適用されます」となっていました。これを10条のよる「破棄通告」と読めますか? 実質的に「外交交渉」によるアメリカの「合意」の下での「解消」ではないのですか。私はそう読み込んで来ました。文言上は確かに、党内の反対派を「言いくるめる」ことはできると思いますが。
前衛さんは、おそらくこのように言われることで、当時の社会党は「独自政策」としても安保廃棄の立場が曖昧であり、現在の共産党との違いが「明確」であることを言いたいのだと思います。
確かに「破棄通告」による安保解消にこだわるわが党からみれば、軟弱な政策にみえるかもしれません。おそらく、この違いは現在の共産党が80年代の社会党ほどには政策を「具体化」していないからであろうと考えています。今後どう変わるかわかったものではありません。それはさておき、もし仮に、当時の社会党から現在のわが党をみれば、自衛隊の「活用」論などはより危険にみえるのではないでしょうか? はっきり言って、目くそ鼻くそ、50歩100歩です。
2、「よりまし」政権と違う?
さて、②ですが、「社公合意」を本当に「よりまし」政権と同じと認識されているのでしょうか。ちょっと驚きです。「よりまし」政権というのは、暫定政権とも言われており、当面の一致できる課題で、限定的な政権だと認識しています。それに、現在の方針では(まじめにやるかどうかは別にして)、戦争法を発動しないことをすべての連合政権の条件にしておりますね。
「ちょっと驚き」と言われても困ります。「社公合意」は「80年代前半に限っての」暫定政権についての合意でしたし、当時の腐敗した自民党政権を打倒するために一致できる課題での限定的な政権だったのではないんですか?
当時は「新ガイドライン法」などありませんでしたから比較のしようがありませんが、例えば83年の社会党と公明党との選挙協力の合意においても、「自民党政権の改憲、自衛力増強、金権・腐敗、大衆増税、物価値上げ、福祉後退など国民不在の政治を糾弾し、自民党一党支配に打撃を与え・・・」と謳われています。
社公合意は、それまでの「全野党共闘」論(これは、二面性があると規定しておりましたね)を捨てて、政権構想として共産党を「排除」するもので、当面の一致する課題で少しでも国民の要求を前進させるというものとは異なります。また、安保や自衛隊問題には「触れない」のではなく、現状を容認するものでした。安保や自衛隊問題を「横において」その他の重要な国民的課題の一致点で、共同するというものでは少なくともありませんでした。
連立の不安定要因となるような政党をあらかじめ「排除」した暫定政権のがいいのか、「野合」と言われかねない「一致点での」暫定政権がいいのか、という問題も大きな論点だろうとは思いますが、ここで政権を担当する場合に、国政の重要問題である安保や自衛隊問題は、「触れない」「横において」と言ってすませられる問題なのでしょうか?
たまたま幸いにして?わが党の「よりまし政権」論には、合意する相手がいなかったがゆえに、「触れない」とか「横において」とか「凍結」とか言って、「容認」ではないかという批判をかわす努力が成功しているようにみえるにすぎません(前衛さんのような人までも納得?させてしまうという点で)。
澄空さんは30代ですね。共産党の社公合意の批判は、「合意」の文章、字面だけではなく、その間の具体的政治的な対応を含めて批判をしています。
澄空さんは、かつての社会党の自衛隊段階解消論の方が、緻密で具体的であると評価されているように見えますが、肝心の安保問題を党独自問題としても次第に曖昧にしながら、社公合意で自衛隊を容認し、一方で党独自に自衛隊段階解消論だけが緻密化されていくプロセスは、それはグロテスクなものでした。私は多くの良心的な社会党員を知っておりますし、現在でも付き合っている人は多いのですが、こういう「欺瞞的」なやり方を一番批判しておりました。結局、国民を欺くことになる、と。
この部分は非常におもしろく思いました。共産党の右転換も、「不破政権論」や自衛隊「段階解消」論、「活用」論などの字面だけでなく、「その具体的政治的な対応を含めて批判」が必要だと私は考えています。「さざ波通信」の意義もそこに見出しています。
また、同時に自衛隊の「段階解消」論などは「グロテスクなもの」としてみています。この間の国労問題や、機密費の追及をめぐる問題をめぐってさえ、体たらくぶりを発揮しているのに、その一方で政策力の強化の一環?なんですかね?この自衛隊「段階的解消」論などは? 自衛隊の「改革」? 安保廃棄すれば、安保や「新ガイドライン法」と密接に関連した条文をもつ自衛隊法をいじらなきゃいけないのは当たり前。何いってんの?っていうのが前衛さんの投稿を読んでの正直な気持ちです。
3、安保問題と自衛隊問題との関係
この論点はあえて私は触れませんでしたが、触れなかったのは前衛さんの論点にとりたてて異議がないからです。「さざ波通信」も基本的には、自衛隊問題を安保問題と切り離した決議を批判しているという点で、前衛さんとの違いはそれこそ枝葉末節に属するものだと考えています。