「きれいな力で」ポスターへのマイネさんの意見に全く賛成です。日刊紙であのポスターをみて正直いってため息・・・。キャッチコピーのセンスが悪すぎ。そろって写っている集団の表情がわざとらしく感じる。(いくつかの職場で働いている若者の顔写真でもいくつか集めたほうがまだまし)今の20~30代の若者や高校生に聞いてみたらいい。「このポスターどう思う?」って。「何これ? キモイ~。わけわからん」っていわれるよ。きっと。なんで、せめて公募とかしないんでしょうね。頭の固い、本部の一部の人たちでつくるからあんな風になる。一体、誰が責任者になってつくったのか、「説明責任」を果たしてほしいですね。ここ数年来でもっとも「愚作」です。
「野党の中で共産党が埋没しないために、党の特徴を押し出せる中味にしなくてはならない」なんていう議論がされて「頭の中で考えて」つくったんでしょうね。でも今必要なのは、リクツの正しさより現実触感ですよ。世間の雰囲気にマッチしていかに党を押し出せるかです。本部勤務の方々が現実社会をいかに知らないかを露呈してますよ(東大出身とか、学生自治会から民青をへて党本部勤務になり、一度も一般社会で労働者をしたことをないような人には一般社会むけポスターなんてつくらせないでほしい。ピアノがひけて文化的素養のあるとよく紹介される志位さんは、あれでいいと認めたのか?)
あんなんじゃぁ、まず、選挙で風は吹きません。有権者の心をキャッチしません。何千万とかいう貴重なお金をかけて、もったいない。貼りたくもないし、貼られたのをみたくもないという感じ。少しも「地に足がついてない」感覚ですよ。宙にういてます。現実感がなくて。本部担当者の方、子どもがよくみているテレビ番組「学校へ行こう」でもみてください。今の中学生がどんなにセンスのいい短い言葉で自分の気持ちを短く伝えるかわかるから。
だいたい、「力」という抽象的概念に「きれいな」という形容詞をつけること自体、日本語になってないんじゃないですか?(誰か教養のある方、教えてください)
「きれいな力」が日本を変えるんじゃなくて、「みんなの力が日本を変える」んじゃないの? 人間がつくる組織にいろいろなきしみや矛盾があるのは当たり前で、党だけ例外ということはないことを党員や支持者は知っている。世の中が全体的にがたがたな方向にむかって政治の悪さが日々露呈されているのもわかっている。この汚れた組織と社会のありように嫌気がさして、ため息をおさえながら出勤・登校しつつどこかに活路をみつけたいとみーんな、それぞれの立場で切実に思っている。しかし、空からふってきたように「きれいな力」なんていわれた時には、生活実感とあっていなさすぎてなんだか宗教みたいだなぁ。「人間臭さ」が感じられない。自分は正しいことをしているつもりでいて、「切り札」のように上から押しつける感じがなんとも、時代遅れ。
アレができあがる前に、いくつか候補作を事前発表して党内投票するとか、キャッチコピーの募集をするとかしたらいいのに。それだけでも、「自分の言葉で党を語れる」ようになるんじゃないの? そういうボトムアップの思想がないから、党内にいてもいまひとつ活動がおもしろくないし、その雰囲気が伝わるから一般の人からも魅力を感じられないんですよ。
「さざ波」投稿者のみなさん、あのポスターに変わるキャッチコピーをみんなで考えてみませんか? あるいは、全国の支部の方、「こんなんじゃ選挙たたかえん」と一斉ブーイングしませんか? そんな内部からの力もないようじゃ、野党にとけてなくなってしまうよ。