今回の澄空さんの投稿を見て、私が何を考えているか明示した方がよいと思い、レスをいたします。なお、澄空さんのご指摘を受け、今後「笑い」は止めましょう。本当を言いますと、私の投稿を読んでいる党の幹部の方を「笑って」いたのですが、他の読者に不快感を与えているようですから、率直に受け入れたいと思います。
澄空さんの投稿を踏まえて、関連した部分で、私の考えを述べておきます。まず、私自身は、現在の共産党の「右傾化」を非常に憂えております。この点で、「さざ波通信」と認識を共有してる部分は沢山あります。ただ、「左」から批判する基軸をどこに置くのかについては、かなり異なっておりまし、非常に難しい問題があると思っております。
この数年の共産党の政策や見解などで(とりあえずは、70年代以降の「議会主義」などの問題は留保しておきます)、私が大変に気になるのは、「右傾化」と「揺れ」の双方です。
具体的に言うと、「さざ波通信」の出発になった不破政権論は、安保についての「揺れ」であり、澄空さんなどが、安保廃棄(共産党の独自政策)、安保容認(政権構想)の使い分けから、実質的に政権構想へ独自政策までもが収斂していったという、80年代の社会党の歩んだ道をダブらせて理解する一定の根拠があることも、十分承知しております。
そういう意味では、具体的な政権参加を考えることが「なかった」、共産党の「試練」でもあると見ております。
Ⅰ)安保の問題では、どういう経過をたどっているか
①「よりまし」政権、野党連合政権で「安保凍結」・一致した課題での政権(実質的には暫定政権です)がありうるとした。
これについて、私は、暫定政権としてはありうる選択(特に、与党が選挙で半数割れする現実的な可能性がある場合)だと考えています。その場合、これが安保を容認したものでない、という明確な担保が必要ですが、独自政策として強く主張すれば、政権は本当にごく「短期」で崩壊することは間違いないでしょう。私が容認するのは、安保容認ではなく「双方から触れない」「横に置いた」構想をもつ、暫定政権が求められる情勢はありうる、ということまでです。
そこで、具体的な問題として「右傾化」を心配したのは、この暫定政権構想そのものではなく、安保をめぐる「二重の取組み」ということで、安保廃棄は国民の多数派をまだ形成していない、という議論です。実質的に「廃棄」の運動よりも、「基地の撤去」など安保の「弊害」除去での共同を中心にした取組み「オンリー」になってしまっていた問題です。
95年の沖縄での少女強姦事件に端を発して40%を超える安保否定派が国内で形成されましたが、これが30%台にその後低下したからと言って、「多数派」ではないというような議論には与できませんでした。その後、安保反対が多数派になる努力を「正面から追求する」といいつつ「二重の取組み」の提起(21回大会3中総の決定ー98年9月)がされ、実質的には、「弊害除去」に中心が移されました。これは、その後、5中総において、綱領的任務として「廃棄」に向けた運動の重要性が再度指摘されるという「ゆり戻し」になっています。
②野党連合政権についての議論では、不破政権論の後、「周辺事態法」の成立などを受け、4中総(99年6月)で「戦争法の発動をゆるさない政府をめざす」ということになりました。
野党連合政権など、今後の連合政権については「どんな段階で、どんな政権を問題にする時でも、私たちは、戦争法に対する態度の問題を、政権の性格にかかわる基本問題として位置づけ、重視する必要があります」とされました。
つまり、この戦争法の問題を横に置いた政権構想は「ありえない」ことを明言したわけです。私はこれを重視しているので、自衛隊解消問題や「活用」問題についての議論でも、この問題を指摘したおいたのです。
しかし、実際問題、総選挙における政策や連合政権問題において、この方針は極めて曖昧な扱いを受けたことに、気が付いていた人もいると思います。私は、その点を極めて重視しているのです。事実上、野党共闘問題が中心になって、選挙の総括でも野党対与党などという「階級闘争」を度外視した「架空」の争点になっていったと見ております。
簡単に経過を見ましたが、では、80年代の社会党と同じかというとそうはいえません。まず、綱領上において、安保廃棄は一つの中心的な課題であり、日本の現状規定と密接に結合した部分です。また、安保廃棄は革新三目標の一つでもあり、民主連合政府構想においても、大きな柱の一つになっています。
この点で、日本資本主義「自立」論をとっていた社会党とは大きな違いがあります。従って、問題は「よりまし政権」における安保の扱いということになるわけですが、現在の共産党が、連合政権構想を「口実」にして安保問題を「独自課題」としても曖昧にすることは極めて困難なことであると思っています。ですから、澄空さんが言われる「『破棄通告』による安保解消にこだわるわが党」という立場から社会党を批判するのとも、性格が異なるわけです。この、綱領上の問題を澄空さんは意識していますか?
Ⅱ)社公合意の見方について
澄空さんは、社会党の独自路線の変更を社公合意よりかなり「後」としているようですが、確かに、公式にそれを認め、文言上もハッキリとさせたのは、かなり後ですし、細川内閣への参加や村山内閣の時であるという言い方もできるでしょう。
「社公合意」は「よりまし」政権ではありません。共産党が述べている「暫定政権」とは全く異なるものです。この点は、ハッキリ言って、澄空さんの認識の誤謬としては最大のものでしょう。私は党の独自路線と連合政権での政策の使い分けが、かなり後まで社会党として行われていたことは(それを「欺瞞」だと見ているだけで)、認識をしておりますが、「当時の腐敗した自民党政権を打倒するために一致できる課題での限定的な政権だったのではないんですか?」という認識は、全く誤っていると見ています。
この点を点検しておきましょう。
①「社公合意」の政策は、「80年代に樹立が想定される連合政権を想定して」いるだけで、時期を限定した政権構想ではありませんでした。逆いうと、だからこそ、「平和憲法を守る」とか「社会的不平等をなくす」など「立派」なことが「沢山」書かれているとも言えるのです。
②「社公合意」は「一致できる課題」での連合政権ではありません。「政治原則」の第2番目に「日本共産党は、この政権協議の対象にしない」としており、平たくいって反共と選別の政権構想です。一致できる課題での政権、共同ならば、共産党を排除する必要は全くないわけで、公明、民社それぞれと個別に協議をしていったように、共産党とも一致できる点を明確にして個別に協議すればよいのです。共産党は「よりまし」政権で一致した課題(それも、戦争法の問題を一致の課題にすると明言しているので、その他で一致してもここで一致しなければ、政権参加はないということになっている「ハズ」なのですが)ならどの党も排除しないとしていますので、この点でも違いは明確です。
③「社公合意」は、76年、77年、78年と三回にわたって行われた「共社党首合意」における「統一戦線結集」の努力や「隔意のない意見交換」合意などを、何の道理もなく否定した「延長線上」に設定されたものです。なにもない所から、出てきたわけではなく、こういう経過をたどって、「社公中軸論」に傾斜していった「結果」というわけです。
④①のコロラリーです。「社公合意」は80年1月でしたが、実は、5月に大平内閣不信任が予想に反して可決されたことを受けて、社会党は「飛鳥田革新連合政権」という「緊急政府」構想を発表しています。これが、実は今日の共産党の「よりまし」政府と比較すべきものです。これも「安保・自衛隊は当面現状維持」となっていましたが、一般消費税問題などでの、国民の自民党政権への不満の飛躍的増大などを踏まえて、「緊急政府」を訴えたわけです。こういう政府において、安保や自衛隊問題が「堅持」ではなく、「棚上げ」にされる場合は、その性格からいって「あり得る」し、別段、非難させる問題ではない、と理解しています。
⑤ということで、「社公合意」を「よりまし政権」と比較するのは、スジ違いなのです。また、共産党が「社公合意」を批判する立場は、細かい「自衛隊政策」がどうのこうの、という細目ではなく、
a)共産党排除の「政治原則」を受け入れ、革新統一戦線に背を向けたこと。
b)安保と自衛隊の存続を当面の「革新連合政権」の基本政策とする立場に踏み切ったこと⇒社会党の当面の政策と行動を安保の枠内に縛る⇒社公合意の廃棄が社会党の革新的再生の試金石。
c)社公民の反共ブロックの形成、さらには自民党勢力との連合への道を目指すもの。
という批判をしていたわけです(以上は、15回大会と16回大会の決議等を総合したものですが)。
Ⅲ)革新3目標と自衛隊について
最後になりますが、澄空さんの認識で少し深めて頂きたい問題があります。それは、革新三目標と自衛隊の関係です。私が安保と自衛隊の関係を述べたのは、正確にいうと、この問題だったのです。澄空さんの最初の私へのご批判の文章の末尾に「『力のバランス』論に立たない自衛隊の一方的・先行的解消こそが平和への貢献」というものがありました。この文章だけ見ると、その「現実性」があるかないかという視点が問題になりそうですが、私はこの文章を読んで、澄空さんは、自衛隊の解消問題を共産党の綱領や、民主連合政権綱領、さらには、「革新三目標」(革新か非革新かの分水嶺)との関係で、どういう課題としてみているかについて、「疑問」をもった次第です。
いい悪いは別にして、日本の民主主義革命の過程で、自衛隊問題を上記のように位置付けるのであれば、当然、自衛隊問題を「格上げ」して、安保と同列におくか、その「上」におく必要が出てきます。つまり、革新三目標に自衛隊問題を明確に掲げるべきという議論になる「ハズ」ですね。
なぜ、そうなっていないのか。自衛隊問題は、これまでの議論をよく注意して見ていただければ、安保廃棄・日米軍事同盟の廃棄に「伴った」問題として位置付けられていること、また、憲法9条をはじめとする平和・民主条項の実現問題として位置付けられていることが理解できると思います。
性格論としては、対米従属の侵略的軍隊、アジア平和への脅威、人民弾圧の部隊という規定が行われてきましたが、革命論との関係では、「革新三目標」には直接入っていないのです。この問題を具体的な民主主義革命のプロセスとして論じてきたのが、この間の自衛隊問題への共産党のアプローチであったと理解をしているのです。
Ⅳ)蛇足
澄空さんへのレスは、実は、澄空さんの再投稿を見てすぐに書いたのですが、見直す時間もなく、仕事で出張してしまい、投稿が遅れてしまいました。若干、書き足して、投稿しようと思い、「さざ波通信」のサイトを開くと、S・Tさんの私への再反論が掲載されておりました。
その最後の文章「前衛氏の議論は、確実に、党指導部に対する批判の矛先を鈍らせ、党指導部のいっそうの右傾化を促すものでしかない」を読んで、私は暗澹たる気分に陥りました。
私の投稿がどうやら気に入らないということは理解できました。しかし、こういう政治的な決め付けは、どこかの党が、自分に都合の悪いことや説明不能のことが起きた際に好んで使用するやり方であり、「さざ波通信」が同じ体質の手法を用いるとは、このサイトについて少し考え直さないとならないかなという印象をもちました。
堂々と自衛隊必要論を述べている投稿者ではなく、その「活用論」を批判している私がこのような「ご批判」を頂くとは、なんと最早。