レーニンの革命が後世なぜ失敗に終わってしまったのか。二段階革命を強行したことの無理が一つの遠因であると思うが、そればかりではないと思います。
一番大きな要因は、国民に選挙制度を与えなかった事だと思います。なぜ選挙制度が無かったのだろう。
社会主義政権誕生間も無いころは、選挙などと、のんきなことをやっていたら、周辺の資本主義国にたちまちやっつけられてしまったでしょう。
日本も、シベリア出兵をして、誕生したばかりの革命政権を痛めつけました。そう言う状況の中で、当初は、独裁政権でゆくよりしょうがなかったと思います。
第2次大戦中も、アジアでは日本の関東軍が中国北部に大集結して、ドイツがモスクワに侵攻しようとしている時、結んだばかりの、日・ソ不可侵条約を事実上無視して、ドイツと挟み撃ちして攻め込むぞと脅していました。
そんな事情で、戦前に民主主義の国になることは、むりだったように私は思います。
戦後、アメリカと勢力を二分する大国になった時ならば、選挙制度を取り入れる余裕は充分にあったはずです。にもかかわらずとり入れなかった。<日本共産党は、そのころ、ソ連と友好を結んでいたのに、選挙制度を取り入れるように進言した事はあったのだろうか>
レーニンは正しいがスターリンが間違っていたという、不破さんの論文中にも、選挙制度の無い事を批判してはいなかったと思う。要は、制度よりも、思想本位、運用本位というのが、不破さんの頭の中身だったのだろうか。
ソヴィエットに民主的な選挙制度があれば、社会主義は崩壊しなかったかもしれない。民主主義的な国家運営をしていれば、生産方法も、重工業よりも民需を優先し、アフガンに侵攻する必要もなかったろう。
社会主義は、資本主義に負けたというよりも民主主義に負けたのではないだろうか。
しかし、ソヴィエットに民主主義を持ち込むことは、猫の首にねずみが鈴をつけるのも同然、革命を起こすと同じくらいの困難さがあったようにも思う。
ソヴィエットの威信を象徴するミールも消えて、新たな社会主義を望むとしたら、一人一人が主人公の徹底した民主主義を打ちたてる事だろう。
これって、すべての判断を人任せに出来ないから、個人は、ものすごく勉強しなければならないし、世界中のことわかっていなくちゃならないし、個人にとっては、ものすごく大変な事なのですね。
他人と横並びで同じ事やっていたい、日本人のA型気質をまずかえていかないとね。それから、勉強ぎらいな横着な人には、民主主義を望む資格がないということかも知れないと思います。
日本共産党を自分の子供と思うか、親と思うかも重要な分かれ道かも・・・