昨日、ここの欄の1月からの分を全部ダウンしてみましたら【待子】さんの 2001/2/23 日付け投稿中に私への一言がありましたので一言。
あなたの「弁証法」というのは、ギリシャ時代の「対話法」の意味ですか。とすると、その場合の「弁証法的唯物論」とはどのようなものですか。私が「もはやこだわるべきでない」と言っておりますのは、ヘーゲルの奇怪な観念論「弁証法」を逆立ちさせて真っ当なものにしたと称するマルクスらを始祖とする「弁証法的唯物論」です。
で、つきに田中知事の件ですが、住民との直接対話を重視する同知事が県で試行中の手法は、あなたのいう「対話法」としての「弁証法」であれば、そうと言えなくもないです。が、その「弁証法」というのは、一般に哲学や社会科学などでいう「弁証法」とは異なると思いますよ。
なお、実は私、長野県に住んでおります。選挙では党の中野早苗氏に投票しましたが、田中氏の捨身で頑張る姿をみて、いささか心動くものがあります。それに、あんなに短くて簡単な選挙運動でも住民の共鳴があれば当選するものなのか、とビックリこいてますが、もしか、フロリダ的集票ミスまたは不正があったのでは、とも疑っております。
田中氏の擁立は、明らかに共産党対策でした。八十二銀行や長野県経済界が主役でしたから。生え抜き県官僚の当選を確実にするための策謀でした。
しかしながら、思いがけず当選してしまった同知事は、天性のドンキホーテ、選挙の際の応援者などとのしがらみに囚われぬ点は、多々期待できるのではないでしょうか。とはいえ、今回の「脱ダム宣言」では、「民主集中制」以上の専制ぶりを見せてくれました。
けれども、マスコミはじめ、多くの日本人の意識改革に役だったことは、大いに祝うべきことでしょう。
「瓢箪から駒」とはまさにこのことですね。
ここで、嘆きの一首。
イロイロのうわさもありしますらおに
あはれ破れし 共産党とは
ついでに期待の一首
日の本の膿みし(倦みし)慣わし破るため
往け往けドンドン 猛きもののふ
お粗末でした。ではまた。