(論点の整理)
「さざ波通信」編集部のS・Tさんから、私への「反論」及び質問を頂いた。そこで、質問などについては、誠実にお答えするとして、最初に、「さざ波通信」と私の自衛隊を巡る見解について、どこが異なっているのか、また、同一の部分はどこかについて整理し、議論が建設的に展開できる基盤を形成しておきたいと思う。
①「さざ波通信」が、現在の自衛隊をどう解消するのかについて、詳細な政策的な議論を展開しているわけではないので、確信はないのだが、これまでに展開された見解を見る限り、私とさざなみ通信の間に、それほどの意見の違いはないと見ている。私の議論は、1月7日以降の投稿で、折に触れ述べている(しかし、私の投稿スタイルの問題であるが、共産党の政策をどう見るかに、力点がおかれ、場合によっては、政策の「解釈」に終始している部分があり、真意がわかり難い展開になっていることを率直に反省している)。そこで、簡単に自衛隊解消に向けての私見を整理しておきたい。
1)共産党の自衛隊「活用」論の部分については、全面的に反対である。これで、その他の肯定的な部分についても「台無し」になっていると思っている。特に、政権与党の立場を想定しつつ、「違憲」の自衛隊の活用を述べることは、党の憲法感覚を疑われてもいたし方ないと理解する(2月23日投稿を参照のこと)。
2)段階的な解消論については、どのようなプランでもある程度「段階」を踏む必要があると理解しているし、解消に至るプロセスでは自衛隊が「存在」していることもやむを得ない政治的現実であると認識している。なお、現実的・政治的プログラムとしては、早大の水島朝穂氏の「非軍事(隊)化」とかなり近い考えをもっている。さざ波通信では、「できるだけ早急な解消」をのべていたと記憶するが、「段階的解消」を肯定するか否かお聞かせいただければ幸いある。
3)私は、段階的解消論を肯定するが、安保廃棄と自衛隊解消を別の問題とする共産党の大会決定の立場は取らない。区別はする必要はあるし、軍事同盟解消と戦争の消滅・廃棄とは次元が異なる部分があるが、政治的には、同じ方向の運動が必要・重要であると理解をしている。また、憲法を「全面的に擁護」するのであれば、一層、その平和的生存権の考えを基軸に据える必要があるだろう。
4)共産党は、常備軍の廃止は21世紀の課題であるとのべているが、私自身は、もっと積極的に、日本国憲法の平和的生存権の思想を国際社会に生かす方向、つまり「戦争に弱い憲法」を逆手にとって、国際社会で発言権を増すという政治姿勢(21回大会で、そういう方向に踏み出したようにも見えたが)を強調してよいと思う。これは「政治的な賭け」(ある種の冒険主義)ではなく、共産党が政治生命をかけて「理論化」すべき課題であると認識している。こういう面で、『経済』の2、3月号の上田論文を重視している。
5)以上が要約であるが、「常備軍」の廃止にあたっては、国民世論の動向が重要なウエイトを占めることは疑いないし、国際情勢の判断なども当然必要である。この掲示板での自衛隊解消問題についての議論を見ても、「常備軍」廃止の世論形成に至るまでは紆余曲折が予想される。率直に指摘しておきたい。
6)蛇足ではあるが、自衛隊の解消に至るまでの「過渡期」(段階的解消の最中)において自衛隊を法的にどう取り扱うかについて、一定の措置が必要と思っている。これは水島氏においても同様である。私はとりあえず「自衛隊解消、縮小、改革」法(仮称)としておいたが、これは、「違憲」の自衛隊を解消する意思を示し、その縮小と侵略性の排除を法的に宣言しておく意味がある(共産党の政策のように、「活用」する場合があることを想定するには、一層の厳重な法的な措置が必要である。こういう法的検討もなしに、とりあえず、あるものを「活用」するという姿勢は到底容認できない・・・私は「プロレタリア独裁」ではなく、「法治国家」の立場を取っているので<笑い)。また、「有事」の定義や対応などについて、「非戦国家」の立場からの検討も必要であると認識している。
②さて、そういうわけで、私とさざ波通信S・Tさんの違いの大きな部分は、共産党の現状と政策をどう見るかに収斂されると理解をしている。私自身は、「さざ波通信」と同じく、98年の不破「政権論」には、大きな危惧を感じた。また、昨年6月の朝日新聞インタビューへの不破「談話」と「しんぶん赤旗」による「解説」には大きな危惧を感じた。手続き的にも、内容的にも到底容認できないと理解をしている。
しかし、S・Tさんのように、昨年の6月の朝日不破回答や7中総の決議(案)から、党大会決定(修正を含む)やドイツ共産党のインタビューへの不破回答などに至るまで、共産党の政策が不変(『さざ波通信』18号では、「相手によって言いかえる」と述べていたが)或いは、一貫しているとは思っていない。つまり、その実質的「変化」を認め、その意味と内容を考える立場にたっているのである。これもS・Tさんとの違いのようである(実は、この点が意外だったのであるが)。
(注)共産党の綱領は、自衛隊については、「解消」を述べるのみであり(その真意は侵略的な軍隊であるということであろう)、私は、これまでの「中立・自衛」政策も今回の「段階的解消政策」も別段綱領に「抵触」するとはみていない。しかし、さざ波通信は、現在の共産党の政策を事実上の自衛隊「必要」論(自衛隊容認論まで後一歩)と批判しているので、現在の共産党の政策は綱領「違反」という認識になる「ハズ」である。まず、現在の共産党の政策が「適切」かどうかを議論する前に、綱領との関係を整理しておく必要があると思う。S・Tさんは、綱領違反と理解をするのでしょうか。あわせて、これまでの「中立・自衛」の政策については、どうお考えでしょうか。
③私と「さざ波通信」S・Tさんの、共産党の政策についての理解の違いは、共産党が自衛隊「必要」論の立場にたっていると見るか、見ないかに収斂されるように思う。そこで、S・Tさんの「質問」にも真正面からお答えするとして、その「前段」に、この間の共産党の「変化」についての私の見解について、簡単に再整理をしておきたい。
a)朝日不破談話及び、7中総決議案(大会議案)までは、自衛隊活用論は野党連合政権まで含まれるように読めるし、また、「しんぶん赤旗」の解説でもそういう位置づけであった。したがって、S・Tさんが引用されている志位書記局長(当時)の大会での中央委員会報告も大会決議案によっているので、そういう内容に対応していると理解する。なお、私は、「改革後の自衛隊」なら「活用」して良いなどとは言っていないし、「活用」問題とは別の次元、即ち、共産党の政策が「中立・自衛」政策からの「転換」であるから、こういう論理立てになると述べているだけである。誤解されているようなので、確認をしておきたい。
b)大会での修正は、次の部分である。
「これは一定の期間、憲法と自衛隊との矛盾がつづくということだが、この矛盾は、われわれに責任があるのではなく、先行する政権から引き継ぐ、さけがたい矛盾である。憲法と自衛隊との矛盾を引き継ぎながら、それを憲法九条の完全実施の方向で解消することをめざすのが、民主連合政府に参加するわが党の立場である。
そうした過渡的な時期に、急迫不正の主権侵害、大規模災害など、必要にせまられた場合には、存在している自衛隊を国民の安全のために活用する。国民の生活と生存、基本的人権、国の主権と独立など、憲法が立脚している原理を守るために、可能なあらゆる手段を用いることは、政治の当然の責務である。」
ここで、明らかにされたことは、民主連合政府に参加する際に、今までの「革新3目標」などとともに、自衛隊を「憲法九条の完全実施の方向で解消することをめざす」ことを「条件」或いは「前提」にすることが表明されていることである。逆にいえば、自衛隊の解消をめざさない「民主連合政府」には参加「しない」ということである。社会党が社公合意によって、安保・自衛隊問題を政権参加の際に「棚上げ」にしつつ、「党」の独自路線としては「段階的解消」や安保否定論などを述べていたことと対比して、その違いは明確であると思うのであるが、S・Tさんはこの点、どう判断するのでしょうか。
ただし、以上の点は、大会の「修正」と言う段階で付加された文言なので、それ以前の段階では、党独自の立場と連合政権に参加する立場が混同されても「いたし方ない」状況であったと認めることは吝かでない。
さて、自衛隊活用問題であるが、引用中の「そうした過渡的な時期」という言葉は、その上の「憲法と自衛隊の矛盾を引き継ぎながら・・・」を受けるので、自衛隊の活用は、この「大会決定」をもって、「民主連合政権」以降と判断されるというのが、私の理解である。つまり、この時点で、「なし崩し的」に政策が転換されたと認識しているのである。
(注)S・Tさんは、私に「今回の大会決定において、いったいどこで、自衛隊活用の本質的条件として「自衛隊の改革」が挙げられているのでしょうか? ぜひともその場所を明示し、その部分を引用してください」と述べている。私は、上記のように、大会決定において最終的に自衛隊活用の時期(「そうした過渡的な時期」)が民主連合政府以降になったと判断しているので(この点について、S・Tさんは、そうは理解しないということですか。つまり、7中総の議案以降、全く、活用論は時期、内容とも変化していない、または、取るに足らない変化と見ているのでしょうか)、「段階的解消」の第2段階において(安保廃棄後)自衛隊改革を述べているので、この両者から判断して、「改革後の自衛隊を国民合意の下で、「活用」することになるというのが共産党の考え方と理解しております。」(1月21日投稿)と述べたのである。もちろん、可能性としては、安保廃棄後(安保存在の時期においては、「急迫不正の主権侵害」どころか、アメリカによる日本を基地とした他国への主権侵害に対する「反撃」でも、自動的にアメリカ及び日本はその国と交戦状態になるので、自衛隊・・・(文字化け部分)・・・。
すでに、述べたように、私は自衛隊が改革されて「いよう」が「いまい」が、政権党が違憲の軍隊を活用すると述べることを容認するものではない。私が述べたかったことは、共産党の政策転換の内容を検討すると、中立・自衛政策、即ち、民主連合政権等の樹立⇒自衛隊解消⇒憲法改正⇒自衛権の確立と武装中立、という政策から、現行憲法の「まるごと擁護」(民主的・平和的諸原則の擁護という綱領路線の「具体化」?「変更」?)路線を20回大会で打ち出し、武装・中立から非武装・中立に政策変化した(せざるを得ない)もとで、安保廃棄後に改革される自衛隊の性格を、かつての民主政権下(革命政権)の憲法改正後の自衛軍とオーバーラップさせ、さらに、憲法9条を現実のものとする方向から「常備軍」そのものの廃棄へと進むという「論理」展開に「ならざるをえない」という理解であった。
だから、私は、正面から堂々と中立・自衛政策からの転換を展開して欲しいと述べているのであって、共産党にこの点を問うているのである。S・Tさんは、私がこれまで述べてきたような共産党の事実上の政策変化についても「正式に前言を取り消していない」から事実上変化していないのだ、というような論理を述べられていたが、それを言うならば、武装中立からの転換についても、明示的には述べていないのである。まず、この点を問う方が「先決」と私は理解をしているのである。
c)さて、話が長くなって恐縮だが、上の私の「見通し」はドイツ共産党への回答や上田論文で、かなり実証されたというのが、2月23日の私の投稿の趣旨である。不破談話については、3月2日の投稿で2点について大会決定からの変化を指摘した。いずれも重要な変化である。また、自衛隊の活用の時期についても、「民主的政府が成立した後」の話として限定的に述べている。
上田論文(『経済』3月号)では、さらに明確に「活用」の限定を述べている。「民主連合政府のもとで日米安保条約を廃棄する第2段階で(不破氏と比較して、段階の設定は大会決定に忠実であるが)、対米従属・違憲の自衛隊は国民合意による量的・質的変化が進められ、警察予備隊以来の米軍の補完部隊としての対米従属性が取り去られる。」
「残る違憲性を取り去る国民合意は、第3段階の事業となる。その際、大会決議が、第3段階にいたる過程では、違憲の自衛隊が『一定期間存在することはさけられない』とし・・・・」というように、事実上自衛隊の活用を安保廃棄後の自衛隊改革が事実上終了し、第3段階の話として設定しているのである。
アンフェアな大会決定の解釈「改憲」とも言えるが、これまでの共産党の論理展開からはある意味で「必然的」な話であると思う。以上のように、大会決定修正に関する私の理解及び推論は、不破・上田氏という「最高幹部」によって、図らずも実証されたと認識をしているのである。
以上のように、ドイツ共産党への不破回答、『経済』上田論文は無視し得ない共産党の路線変化(また、その前提として7中総から最終的な大会決定への変化)を証明しているのであり、「相手によって言いかえる」ようなレベルの問題ではないのである。この点は私は自信をもっている。是非、さざ波通信編集部で集団的に議論して、その意味するところを検討して欲しい。
④最後になるが(これがメインであろうが)、「さざ波通信」S・Tさんの、共産党の「自衛隊必要論」の証明について検討しよう。
その論拠は3点であった。
1)「独立・中立を宣言した日本が、諸外国とほんとうの友好関係をむすび、道理ある外交によって世界平和に貢献するならば、わが国が常備軍によらず安全を確保することが21世紀には可能になるというのが、わが党の展望であり、目標である」と変わっていることです。この文言は、その時になるまでは、「わが国が常備軍によって安全を確保することが必要である」という立場に立っていることを意味します。
2)第22回党大会決定が、国民世論の成熟と並んで、「アジアの平和的安定の情勢が成熟すること」を自衛隊解消の本質的条件として持ち出してきたのだから、自衛隊「それ自体」は「国際情勢の安定化に寄与している」のだという立場をとっているのだ、ということになります。
3)『しんぶん赤旗』解説記事は、この活用論を、民主連合政府のみならず、野党連合政権においても有効であるという立場を表明し、あまつさえ、それを第12回党大会以来の一貫した立場であるとさえ強弁しました。この正式に表明された立場は、結局、第22回党大会においても明示的に否定されませんでした。とすれば、自衛隊は、改革される以前でさえ「活用」可能であるとする立場に、党中央はいまだに立ちつづけているということです。それどころか、大会において志位書記局長(当時)は、改革前の自衛隊にもあてはまるような活用正当化論を展開しました。
順不同で、見解を述べたい。まず、2)について私は、すでに前回の投稿で「共産党の政策では、「憲法の平和原則にたった道理ある平和外交で、世界とアジアに貢献する」ことを前提として、「アジアの平和的安定の情勢が成熟すること、それを背景にして憲法九条の完全実施についての国民的合意が成熟すること」を自衛隊解消への道としているのである。」と指摘をしておいた。
共産党の政策が、まず、第一に、民主連合政府に参加する条件として、自衛隊を「憲法九条の完全実施の方向で解消することをめざす」という政策をもっていること、第二に、上に引用したように、安保条約の廃棄・中立のもとでの平和外交の展開や、対米従属軍隊の自衛隊の改革もアジア、世界の平和に積極的な貢献をすると肯定できよう。「たとえ「改革された(?)自衛隊」が問題になっているのだとしても、やはり自衛隊は自衛隊であり、それが自衛隊ではない何ものかになったわけではありません」というS・Tさんの議論は、やはり一面的であろう。違憲性や軍隊であるという点では、変化はないわけであるが、安保廃棄・中立の下での、軍縮や自衛隊の改革は決して無視し得ない、積極的な国際的な役割を果たすということまで否定するのでしょうか。
私は改革した自衛隊を積極的に平和のために「活用」するなどとは言ってないのであり、対米従属性の排除や公務員としての政治的な中立化などは、自衛隊の解消のプロセスとしても重要であり、「同じ自衛隊だ」というようには、無視することのできない『変化』だと理解をしているのである。また、解消を展望した改革の与える肯定的な側面を重視しているのである。
S・Tさんは、自衛隊解消について、一足飛びに全面無条件即時解散を主張するのでしょうか。これは、私は、世論との関係はもとより、政策的にも無理があると認識し、早大の水島氏とある意味で共通する「自衛隊の非軍事化」を改革のプログラムに早い段階で持ち込むというオルタナティブを提起しているつもりである。
別に「さざ波通信」にそこまで要求するつもりもないが(共産党の政策の批判的検討だけでも大きな役割がある)、2)のような論理で、共産党が「自衛隊必要論」であるとの批判はどう見ても無理があると思わざるを得ない。
3)については、すでに共産党の政策の変化の意味については述べた。ただ、最初から述べているように、私は自衛隊の「活用」については、政権党の立場を前提としてこれを述べることは憲法認識からも理解できないし、前回の投稿でも「大会決定が最終的に自衛隊の活用を論じていることから、「平和の維持に」自衛隊が必要であるという認識を共産党がもっているという「批判」を述べることは不可能でなはい」と述べているのである。だから、この部分に限っては、さざ波通信と殆ど同一の認識をしている。「活用」の時期は、政策的に変化してきたが、「活用」そのものの考えは変化していないので、これは私も肯定していない。
無用の言説であり、政権党の立場と一政党の立場の違いを理解しない議論であると思っている。 憲法制定の際に、軍事力の否定・戦争の放棄に、義勇軍も入るのかと言った議論もあったが(これも駄目となると、どこかの戦争に個人として参加した日本人は国籍を剥奪され、帰国できないというようなことになるところだったろうが)、国家の機構でないものについてどう考えるかなどは、議論もあろうが、国家・政権党としては「あらゆる合憲的な手段」で対応するということ以外に言いようがなかろう。元々、憲法は戦争を想定していないのだから、交戦権もなければ、戦争に必要なあらゆる制度・手段が想定をされていない。「憲法を擁護する」とはそういうことであり、その自覚の上に、政策は展開されねばならないことは自明である。
最後に、1)について。これは、実は、『法律時報』の1月号で和田進氏が全く同じ批判をしており、私は正月にコタツでみかんを食べながら読み、なぜ、「共産党の憲法論の展開」(『講座憲法学』別巻、日本評論社)まで書いた氏が、この程度のことがわからないかと不思議に思ったものである。S・Tさんがこれと同じ批判を持ち出していたので、実はビックリしたところである。
形式論理としては、21世紀中に常備軍をなくすことが可能という説明は、「では、それまでは常備軍はあるのだな」ということであるが、これは、文意を理解していないのである。
元々、この大会決定では、この文章の後に、「自衛隊が憲法違反の存在であるという認識には変わりがないが、これが一定の期間存在することはさけられないという立場にたつ」と述べられており、段階的解消論と取る以上、その期間において「存続」しているのは、いわばあたりまえであり、周りくどい論議をしなくても、共産党自体が直截的にのべているのである。
だから、S・Tさんが引用した文章は、「自衛隊解消までは自衛隊が存在する」というような無内容なことを述べているのではない。注意してみて欲しいのは、自衛隊ではなく「常備軍」と言っている点である。もう、おわかりでしょうか。これは、これまでの共産党の政策であった、武装中立政策を放棄することを述べているのである。今後、憲法を改正して自衛権の行使を軍事力(共産党は国民国家形成における常備軍を、近代国家の軍事力として認識するという、ある意味で旧来からの立憲主義を踏襲しているようであるが、憲法論として異説であろう)によって行わないということを「宣言」しているのである。 不破氏は自衛隊解消を21世紀の早い時期と回答した。忙しくなったし、後戻りはもうできないのである。これを踏まえて、わかりやすく、国民に自衛隊活用論ではなく解消論を展開してほしいものである。
追記
私は「さざ波通信」を論難しようとか、S・Tさんを論破しようなどというつもりは全くないし、その意義も見出しえない。その意味で、論争のための論争は避け、多少ともこの板をご覧の方々に、「そういう見方もあるのか」という論点の提供に心しているつもりである。そういう点で、「さざ波通信」の存在について評価しているのである。
また、私に共産党に問い合わせを行うことを慫慂されているが、これは共産党員であることを明言されている編集部の皆さんに「権利行使」をお願いしたい<笑い。