こんばんは。
「保守」の地域経済分科会です。
昨年、総選挙後に私は、
という投稿をさせていただきました。
自分でもその後の多忙もあり、忘れていました。
マジで考えてみましょう。
日本共産党中央委員会を批判するのも結構ですが、建設的な提案として。なんかありませんか?
そして、それをみんなでどんどん党中央に送れば案外、動きますよ。消費税問題での方針転換も結局商工団体などの不満がそういう力となったわけですから。党中央とて、流れは見るに「それなり」に敏なはずです。
でなければ、それなりの勢力を保つ組織など維持できていないはずですから。
ではまず隗より、ということで、私が僭越ながら参院選・都議選用スローガンを考えさせていただきます。
目玉として
---核兵器廃絶!、原発反対!が日本共産党の大筋として基本スタンスなのですから、ついでに言っちゃいましょう。実現する方策はそうないのですが、とにかく叫ぶだけでも効果はあります。保守系の私でも抵抗はありません。だってそうでしょう。冷戦は終わったのですから。まあ、海洋の有効利用とか、一部に依然存在する海賊対策のために多少の通常の潜水艦と民間の潜水艇はあって良いでしょうが。
ついでに都議選用としては
で良いでしょう。石原暴言に対しては、これで行きます。本島市長が昔右翼によって「天誅」と称して銃撃を受けた、1年後の市長選挙で「私の負けは民主主義の負け」と言って再選しましたが、あれを真似させていただきましょう。
なお、財政再建へのスタンスは、ときかれたら、自民党と同じで、「景気回復=デフレギャップ解消後に自然に実現」と答えましょう。
もともと、異常なまでに財政赤字を恐れるのはおかしいのです。
例え、古典派の立場を取っても、財政赤字は子孫に負担を残す事はないのです。
負担を残すのはケインズ派ですが、この場合は、景気回復に有効。負担を残しかつ景気回復にも無効な財政赤字というのはどの考え方をとってもあり得ない。ただし、投資のやり方によって長期的成長率は違ってくるが(中南米と日本の違いを見ればあきらか。)。
ただ、公共事業が既得権益化して政治腐敗を招くと言うなら説得力はあるが、財政政策の有効性とは無関係。
中南米は、インフレになってもなお引締めなかったからああいうことになっただけであり、日本とは違います。アフリカの場合は供給力が乏しいのに需要刺激で国民の不満をそらそうとしたから、おかしなことになった。
生産性も上がり、過度な円高で交易条件も異常なまでに良い日本といっしょくたくにしてはいけません。(こういうと私のことを自民党系の建設業者か、農協幹部か国土交通省あたりの高級官僚ではないかと言う人がいますが残念ながら私は全然違います)。
昔、民主党の掲示板で何度も大蔵官僚の人と一緒にこのことを強調していたのは事実ですが。よくガリガリのデフレ主義者、民主党支持者、同じ連合の労働組合員(特にデフレは痛くも痒くもない公務員か教員)、と衝突した、というか本筋と違う所で上記のような批判を浴びせられていたのが昨日の事のように懐かしく思い出されます。
民主党の主張は橋本内閣の政策から見て大して新味はありません。自民党が積極財政と言う真っ当な政策に転じたために民主党は、それとの差別化を出すために、構造改革を打ち出した。
しかし、なかなか支持は得られず、無党派層さえ引きつけられない。森総理の不人気のお陰でかろうじて持っているだけです。日本社会党や民社党と大して変わらない。労組(連合、自治労、日教組等)依存を強めつつあります。
労組出身議員や労組が推す候補者は、中年以上の男性ばかりですから、女性や若者の支持率が低迷します。今度のうちの選挙区の候補者だって、60代の自治省天下り官僚ですから。入れたくありません。連合や自治労中央のセンスは最低です。かくて、自民党を永遠に超える事は難しいでしょう。まあ、民主党でも市民派とか女性の若手とかが代表になってくると違うのでしょうが。
日本共産党も「何年で財政再建をやる、」などという考えを持っている限りは永遠に天下は取れません。景気が回復=インフレギャップが生じたとき、これが財政再建のしどきです。(なお、同じインフレでも供給サイドのショックに拠るときは違ってきますが、省略。)
話を本筋に戻しましょう。
キャッチコピーは
自分としては、細かい所は自分の「口癖」の「自治・連帯・共存」=「みんなの力で、助け合い、自然と人間、人間同士が共存できる恒久平和を確立する」に沿って、経済政策などを考えて行きたいと思います。
耳にたこが出来たかもしれませんが、国家財政の再建は二の次で良いのです。デフレギャップがなくなれば財政赤字は出さずに済みます。
インフレギャップが出来たときに、大企業を中心に課税強化して再建すれば良いのです。たとえ、「お前は自民党員(公明党員、建設業者、銀行、農協・・)だ!」という「批判」(?)を受けようが私の考えに変わりはありません。