『さざ波通信』が果たしている意義は大きい。このようなことが、党内で行なわれていれば、共産党がもう少しましになるだろう。
ただ、党内改革については、ほとんど展望がないと思っている。
革命理論や政策の問題もあるが、組織として人を大切にしない体質があり、これが大きな障害になっていると思う。
1960年代の初め、選挙や拡大の目標が未達成になると、「革命を裏切るのか」と脅された。上級の方針が忠実に実行できない限り、絶えず党派性や戦闘性、規律の点で批判の対象となり、これが非常に恐ろしかった。
その後、言葉自体が丁寧になったとは言うものの、指導ー批判ー脅し、という体質に変化はない。支部や中間機関の会議で、弱点をさらけ出して語り、助け合うなどということはまず望めない。仮に、自らの弱さを発言した場合でも、締めくくりは自己批判であり、どうそれを克服するかというご立派な話になる。
敵権力と対峙しているのだから、そのような軟弱なことは言っていられないというが、それによって失っているものも多い。
今の上級機関の大多数は、このような体質を耐え抜いたつわものであると思われる。したがって、脅し体質に染まった幹部に自己改革が出来るはずもない。
また、議員を含めた専従者は、中央や上級によって、活動費という生活権を握られているため、いい子でいるしかない。
共産党への支持が伸びないことは、活動力不足や反共攻撃と説明されているが、一方で独善的で攻撃的な体質を国民が肌で感じ、「恐い」と受け取っているからだと思う。
党内で『さざ波』的な議論が出来れば、再生の可能性がある。それも全国的な規模でいっせいに行われなければ、「党内弾圧」にさらされる。ということは、大規模な党内闘争が必要となり、分派を禁じている規約に触れてしまう。この矛盾は今のところ解決しない。