jinさん、(自分のやりたくない)「そのような活動を指示されれば拒否します」とのことですが、私の周りにもそのような党員は複数でいました。
たいがい古参の党員で、党費を払っているが、支部会議には出たり出なかったり。出席したときは、党に対する批判的な発言を遠慮なくしていました。赤旗の配達は日曜版だけ。拡大や支持拡大も「できる範囲だけ」。このような党員は案外多いのかも知れません。
しかし、このような党員は、活動的な党員の共感も賛同も得ていませんでした。なぜでしょうか。活動的な党員からみて、自分たちと同じ苦労を分かち合っていないからです。党会議の代議員として推薦されることもありませんから、支部以外の場で発言する機会もありません。
ですから、このような党員がいても、支部は変わりませんし、党も改革できません。
党に入ったのは、「自分のやりたいことをやるため」ではありません。自分のやりたいことを我慢してでも、社会のために尽くしたいという気持ちがあったからです。
個人を党のうえにおかない。上級の決定には従う。他の党員や党を批判する前に、自分の至らなさを思う。社会を変革しようとするとする者は、そのままの自分であってはならない、苦しい自己改革に努め、自己犠牲を払う。その道は党活動という実践だ。
一般的に党員はこのように考えています。ですから、「自分のやりたいことをやる」のではなく、党の要求することを優先しようとします。
問題は、このような一般党員の気持ちを「いいことにして」、過大な任務を押し付け、指示通りにできないと厳しく批判することなのです。
思想性が低い、党の任務に忠実ではない、個人の都合を優先している、自己変革・自己犠牲が足りない、挙句の果ては拷問ともいえる深夜・徹夜の会議などなどなど。これを「信心が足りない」と置き換えれば、どこかの宗教団体だし、「やる気があるのか」と言えば、どこかの会社の営業部長の脅し文句となってしまう。
十分活動をしていると言える党員などいませんから、このような乱暴な指導にも従い、過重な任務を引き受けてしますのです。
このこと自体を批判することはできないと思います。