jinさんの投稿とその投稿を巡るいろいろな方々の投稿を読んでいて考えたことがあります。まず、jinさんの文鳥さんに対しての最初の投稿を読んだ時は
”なんか、すごくドライな対応だな~。そうは言っても、みんなあなたの言うようにできないから、ここでも話あってるんじゃないの?”
と考えていました。
しかし、その後の"YTT"さん、"ミカヅキ"さん、"化石"さんのjinさんに対するレスとそれらに対するjinさんの再レスを読んでいて少し考えが変わりました。
特に、jinさんの4/21付けの投稿にある、
”ワーカーホリックに代表されるように、自分を犠牲にして組織に尽くすことで自分の存在意義を確認するという人が存在し、現在の日本ではそれが賞賛される構造になっているのです。その精神病理から共産党員とて自由ではないということです。
この指摘は、まさに”目から鱗・・・・・”状態でした。
日本共産党という組織は、”普通の”組織ではありません。当たり前といえば当たり前なんですが・・・・・・。
これだけ大規模な人員の組織(党員だけで数十万人)で今の社会のありかたの基本的な部分に異議を唱え、変えるための実践を行っているのは、日本では宗教団体を除けば日本共産党だけでしょう。
その組織としての”特殊性”のため組織と個人の関わり方が”特殊”であっても当たり前だと僕は考えていました。それで、”普通”の組織には見られない以下のような規定があってもその組織の特殊性ゆえに、当たり前の事と考えていました。”民主集中制”とか、”党の上に個人を置かない”etc........。
しかし、jinさんの投稿を読んでいるうちに”普通”の組織と個人の関わり方の原則のようなものは、共産党と党員の間でもやはり通用させなくてはいけないんじゃないかと考えるようになってきました。
”いやな事は、いやと言い、できない事はできないと言い、それでもそれらの事を迫られたら、やめる事も選択肢のひとつである。”という事です。
あまりにもあっけない事ですが、これらの事を公に党内で認め、党員個々が党内で実行すればそれだけでもずいぶん共産党は変わると思うのですが、どうでしょうか?
まだ、書きたい事がありますが、それは回を改めて投稿させていただきます。