この間の本サイトの予研裁判にかかる投稿とその議論は、日本共産党における「科学」政策の内実を如実に示しているが、ここにあるのは、まさしく原子力政策における党対応のミニチュア版ともいえる。
みなさんは覚えているだろうか。1988年、チェルノブイリ原発事故を契機とした原発反対運動が、遼原の火のように燃え広がったのを。4月の日比谷公園の集会には全国から2万人が結集した。「核一般」でなく「原発」単独の課題でのこの規模の結集というのは、おそらく過去にも、そして、その後もないものである。
この一連の運動には様々な流れがあったが、大きな役割を果たしたのが広瀬隆氏である。氏は、技術者の立場から原発の危険を知り、原発関連企業の職を辞し、既存の党派運動や市民運動とは全く別枠で、地道に原発の危険を知らせる運動を展開していた。
ベストセラーになった「東京に原発を!」は氏一流の、そして最高のコピーであった。ここにも示されているが、氏の最大の特徴は、既存の運動が、組合の動員や「金太郎飴」的な内輪の集会しかできてないときに、「知っている人はもういい。1人でも知らない人に原発の危険を知らせ、広めることこそが最重要だ」とする作風にあった。氏が関わった「緑の会」では、街頭の署名活動でも、「原発に反対する署名」と、「東京に原発を誘致する署名」の2つを用意して、道行く人たちに考えさせるという手法をとった。もちろんその中には、「都市住民が、原発現地を犠牲にしていいのか」という強烈なアンチテーゼが含まれていたことは言うまでもない。こんなユニークな運動は、その後もなかなかあるものではないといえよう。
その後、商業出版の執筆を含めた「マス」的な方向での活動を優先させたが、1988年の運動の爆発は、広瀬氏なくしてはありえなかったであろう。
その広瀬氏と、1988年の運動に文字どおり全面的に敵対したのが、日本共産党である。
「広瀬の著作は反科学だ」「データは間違いだらけだ」「扇動家に過ぎない」とあらゆる悪罵が投げつけられた。日本共産党は、政府-電力会社とそれに連なる右派マスコミ以上に、それを積極的に担った。特に、「科学者会議」に連なる野口某なる党員の大学教員は、こともあろうに「文春」を拠点に、広瀬批判を全面展開した。そして、4月の集会にも、日本共産党は、例によって「ブントなどニセ左翼暴力集団が関わっている」と「赤旗」で妨害キャンペーンを繰り広げたり、母親大会でわざわざ「反広瀬」的議論を喚起したり、「原発反対でなく総点検を実施せよ」なる世にも希な珍説?を展開する本を出版して、民青に大学で宣伝させたりと、およそ考えられる妨害行動の全てを展開したといってよい。
もちろん、広瀬氏にも幾つかの誤謬があった。1)「科学者会議」が指摘する専門的なレベルのデータミスはもとより、2)大衆的な運動展開の軽視や、3)近年の著作に見られるように、過度に家系等から全体構造を説明しようとする「文学的」な傾向である。特に3)は、本人が意識すると否とに関わらず、ユダヤ陰謀論的なカルトに利用される危険性を内包しているともいえるだろう。
しかしながら、それで氏の「原発の危険性を一般に広く知らせた」努力と功績が否定されるいわれはないし、批判の幾つかについては氏も反省しているわけだから、日本共産党の当時の異常な行動は、別の政治的な意図があったと言わざるを得ないのである。
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ここで言いたいのは、広瀬氏個人を云々することでも、また、芝田氏と広瀬氏をダブらせて議論することでもない。一体、なぜ日本共産党中央は「原発反対に反対」しようとするのか、あるいはまた「党から離れた多様な運動の展開」をなぜ抑圧する側に転じるのか、そもそもそれを支える論拠は何か、という点である。
実は、原発予定現地では、現地の日本共産党員・議員及び支部が、広範な反対運動を展開している。中央のいうような硬直的な構造は後景に追いやられ、旧総評系はもとより、日本共産党言うところの「ニセ左翼暴力集団」も含む大衆集会にも参加・共闘している例は多い。
これによって、たとえば高知県窪川町などでは、実際に立地を阻止するという成果を上げている。また、一部の電力会社支部では、広範な市民・学生と原発反対で共闘したり、原発下請労働者の組織化を試みたり、その支援を行ったりと、積極的な役割を果たしている。さらにいえば、1988年の集会にも、党中央の統制をはねのけ、多数の党員が結集しているという事実がある。
しかし、こうした現地の運動が「赤旗」に取り上げられることは非常に少ない(事故の時には一時的に見られるが)し、党全体で積極的に行われてきたかといえば、全くそうではない。さらに、既存原発がある地域では、その活動はトーンダウンしてしまうのである。党の説明では、「実際に動いている原発に反対することは、現実的な政策ではない」として「総点検せよ」とする政策につながっていくのであるが、それは果たして本意であろうか。それでは、たとえば「実際にある米軍基地」や「自衛隊」に反対する根拠が説明できない(自衛隊については、方針転換しているが)。
実は、日本共産党の本音は「脱原発や反原発は科学的でない」とする主張に尽きるのではないかと思われる。さらにいえば、科学技術の進歩を絶対化し、それに伴う問題は「科学」によって解決できるとする「(古典的な)科学的史観」に貫徹されていると考えられるのである。
このことは、大衆的な抵抗や、現地住民の「不安」に基づく運動を「反科学」「打ち壊し運動」と執拗に攻撃する傾向に示されている。だから、今ある原発がどんなに問題があっても、それを止めろなどというのは「科学の否定」に直結すると考える。「これ以上つくられても困るが、今ある原発は止めない」、まさに今の日本共産党の原子力政策にほかならない。
このことは、当然原発に留まらない。
近年の遺伝子組み替え以前、農薬・化学肥料を拒否しはじめた初期の有機農業運動に対しても、全く同様の対応が見られた。そこにあるのは、たとえば、ムラ八分になっても自らの信念で農薬・化学肥料を拒否した現地農民の大衆的ムーブメントよりも、試験場や大学の実験データを優先する「科学」であり、原発現地住民の「淀むような、しかし確実にある不安」をデータがないからといって退ける「客観性」である。皮肉なことにこれらは、後になって、農民の広範な健康破壊や食品公害、さらには原発事故を以て「科学的」「客観的」に「立証」されてしまうのであるが。
戦後の一時期、日本の有力な科学者は、こぞって日本共産党の影響を受けただけでなく、自ら党の中枢で活動した。自然科学では、物理学でその占める割合が大きかったと言える。現在も、日本原子力研究所は、労組も管理者もともに、日本共産党の影響力が大きい。日本原子力研究所が自らの首を絞める「原発反対」をいうことがありえないように、日本共産党もまた、「日本の科学」の中枢の側に立ち切っているために、原発反対をいわないのではないのか。
こうした人脈で「原子力はまだ未完成な技術」と声高に語られる中には「いずれ(俺達の力で)完成できる」という思考が色濃く見られるし、「アトムフォアピース」の軍事的背景を考えずに「科学技術の発展と平和的国民的利用」路線に純化していったその姿勢は、より深い要因の存在と構造を思わせる。
この要因は、今後、精緻に検証される必要があるが、こうした体質が抜きがたくあるということは、運動の現場で党員と話していても多々感じられることは、言うまでもない。ある党員は、原発を巡ってこう言った。「あなたは、やはり科学否定の空想論者です。もっと科学的に社会科学を学ぶ必要があります」
予研の場合も、全くこれと同様の構造にあるのではないか。このサイトの投稿者が、芝田氏が党員であることが意外であった、とした点に、まさに芝田氏の「党員らしからぬ」広範な活動が示されているが、住民の立場で、しかも党の作風と異なる広範な住民運動を展開する芝田氏に対する「反科学規定」は(広瀬氏とは異なるが)、折角できてしまった自らの「科学」を証明する「場」の否定につながるとの恐れにほかならないのではないか。それは、「完成までは反対したがその後沈黙した」「民主的科学者」の態度に凝縮されている。しかし、芝田氏は党員であって影響力も強い以上、中央としては「ほどほど」にお付き合い(現地ではそうではなかったであろうが)しつつ、しかし本体からは抹殺する、という態度なのではなかったか。彼の本が、大月でも新日本でもなく、「緑風出版」から出されたことが、ある意味で象徴的ともいえるのである。
これが、このような結末が「科学主義」なら、我々は、それを直ちに「官僚主義」と全くの道義であると断じなければならない。
こうした悪しき「科学主義」に果たして未来があるのか。答えは自明ではないだろうか。原発に関しては、日本共産党がいくら総点検だの、推進策の総転換だの、国際的に翻訳できない意味不明の言語で語ろうが、もう議論の余地すらないのが現状だ。ドイツをはじめ各国で原発が否定され、後退はしたが台湾でも原発を拒否する民意が貫徹しつつある。少なくとも、原発が軍事-核武装と独立してあり得ないこと、とりわけ原発が商業用に収支の合うものであるとか、核燃料サイクルなど空想の産物でしかないことが、アメリカを含む世界中で立証されつつある。
そして、ヨーロッパを中心に、遺伝子組替等に対する広範な世論も形成され、「科学」と「人間」「環境」のあり方と関係性に迫る議論と政策が具体的に検討されている。
しかし日本では、およそ21世紀を迎えたとは思えぬ前世紀、いや前々世紀的史観が、資本の側だけでなく反対派の側にも貫徹しているのが実態なのである。
我々は、かかる中にあって、何よりも現地の声に耳を傾け、実態を把握しきること、党内にあっては現地党員の、「党員の枠に収まらない」運動の実態を広く紹介し、情報と経験を共有することに力を注ぐべきと思われる。それは原発に限らず、予研運動やほかの運動の場合もそうであろう。
それを通じてこそ、「科学主義」の装いをこらした「官僚主義」を打破し、民衆の立場に立ちきった運動を構築しうるし、もしその先頭に党員が立つのなら、我々非党員の信頼と連帯も強固なものになりうるであろう。
その際、インターネットは、それを実現できる強力なツールとなる。党中央がインターネットを「恐れる」理由がここにもある。
※本投稿文の作成に当たって、名前は記せませんが、複数の関係者から様々な助言・情報提供を受けました。記して謝意を表します。