雨降りさん
私のいいたいことがわかっていただいてうれしく思います。
しかし、jinさんの投稿を読んでいるうちに”普通”の組織と個人の関わり方の原則のようなものは、共産党と党員の間でもやはり通用させなくてはいけないんじゃないかと考えるようになってきました。
そうですね。多数者革命というからには、特殊な人しか活動できない組織ではなく、多数の人が結集できる普通の組織でないといけないと思います。
”いやな事は、いやと言い、できない事はできないと言い、それでもそれらの事を迫られたら、やめる事も選択肢のひとつである。”という事です。
そうなんです。言ってみるとあたりまえのことなんです。少し補足しますと、人はだれでも自分や仲間を幸せにしたいと思うし、そのために何かしたいと思うものだと思います。ですからやりたいようにしておいても、自発的に社会のために活動するものだと思います。自発的な活動のパワーはすごいものです。
ひとりひとりの自発性を引き出せる組織にしたいものですね。
脱党者さん
しかし、このような党員は、活動的な党員の共感も賛同も得ていませんでした。なぜでしょうか。活動的な党員からみて、自分たちと同じ苦労を分かち合っていないからです。
このような発想が私が病的だというところです。何のために党に入っているのですか。苦労するためですか。私は自分のやりたいことをやるためだと思います。それができていれば本来は党活動は楽しいはずなのです。それが、その楽しみを共有できる仲間を大事にしたいということにつながると思うんです。苦労ししんどい思いをしている自分がえらいと思いある意味満足し、同じくらいしんどい思いをしている人とは共感し、自分より活動していない人を一段低く見る、その精神構造が病的だと思うのです。
ですから、このような党員がいても、支部は変わりませんし、党も改革できません。
たしかに、このような人がいても、その人が「自分は活動的ではない」などと罪悪感を持っていたり、いじけてひねくれていたりしては、支部や党は変わらないと思います。でも、そんな罪悪感は持たず、楽しく真に自発的に党活動をするならば、そのような人を見て、党が社会を良くしたいという自発的な人が集まって作られたこと、自らが選んで党活動をしていることを他の人が自覚することになり、ひいてはまわりが変わることになると思うんです。
党に入ったのは、「自分のやりたいことをやるため」ではありません。自分のやりたいことを我慢してでも、社会のために尽くしたいという気持ちがあったからです。個人を党のうえにおかない。上級の決定には従う。他の党員や党を批判する前に、自分の至らなさを思う。社会を変革しようとするとする者は、そのままの自分であってはならない、苦しい自己改革に努め、自己犠牲を払う。その道は党活動という実践だ。一般的に党員はこのように考えています。ですから、「自分のやりたいことをやる」のではなく、党の要求することを優先しようとします。
この考えこそが、組織の拡大を妨げ、ここに投稿しているような党を憎む人を生み出す根元であると考えます。すでに書いたように私は「自分のやりたいこと」と社会に尽くすことは矛盾しないと考えています。要は自分のやりたいような形で社会に尽くせばいい、社会に尽くす尽くし方は1つではないということです。そのままの自分は自分や仲間を愛する自分です。ですから、そのままの自分をそのまま出せるようにすればいいと思います。自分で自分を愛せない人は、自己犠牲をし、人に尽くし、人の評価を得て満足しようとするのです。ですから人が評価してくれないと、人をうらむ。いわゆる「大衆馬鹿論」はそこから出てくるものでしょう。
問題は、このような一般党員の気持ちを「いいことにして」、過大な任務を押し付け、指示通りに>できないと厳しく批判することなのです。
私はそうではないと思います。うえのような気持ちをもつ「一般党員」は、自分がやりたくないことをやっているため、人にもやりたくないことをやることを求めます。人が楽をしているように見えると腹が立ちます。ですから、そのような党員が指導する立場に立つと、必然的に「つめ」の指導になるんです。
また、そういう人は、党活動の水準は、本人の意欲ではなく、客観的情勢によって決まると考えます。客観的情勢はつねに厳しいのですから、要求水準も過大なものとなるのは必然です。
ですから、私は幹部を批判するだけでなく、党活動に臨む発想自体を変える必要があると思っています。そうでなければ、多数者を結集できないと思うからです。
最後に文鳥さんへ
私がいいたいことを端的にいうと、
このホームページの目的は共産党の改革にある。
しかし、あなたの投稿は、単に党にひどいことをされたというにとどまる。
それでは、このホームページの目的にそぐわないのではないか。
そうでないということであれば、問題点だけでなく改革のみちすじをも示してほしい
ということです。