むなしい言葉であるが、「同志愛」という言い方がある。魅力的な言葉であるが、実体はない。
① 共産党は、スパイや破壊者の脅威さらされてきたことから、必要以上に警戒心がおう盛だ。しかし、警戒心が強すぎると、猜疑心が生まれ、秘密性も濃くなる。これがかえって乗じられる隙となる。非合法時代ではないのだから、オープンにした方が、「悪意者」を見つけやすい。だいたい、支部や地区レベルの活動で、外部に知られて困るようなことは少ない。
② 説得に、説得を重ねて入党した人は信用するが、積極的に党に近づいてきた人に猜疑心を持つということも起きる。
③ 党員間の交流が非常に少ない。同一地区であっても、支部が違えば、ほとんど個人的な付き合いはない。趣味、家族、仕事の問題などを語り合う機会がまずない。これで「同志愛」にもとづいた人間関係ができるはずもない。恋愛を党に知られないように進めるということさえある。警戒心によるものか、分派の形成を未然に防止しているためか。
④ 党員は、党活動、仕事・学業、大衆団体と、たいがいが3重生活をおくっている。これに家庭が加わるわけだ。まさに「前衛」にふさわしい超人さだ。しかも、仕事上や家庭のことは、「個人で解決して」党活動に献身しろという風潮がある。共産党員とは、そのように「強い」人間の集団なのか。もし、そうならば党外の人たちが「恐い」と思っても不思議はない。
革命なり、社会変革を担う組織には、それにふさわしい新しい「文化」が創生されていくものだ。その基本は人間関係にあると思う。今の共産党には「新しい文化」はない。