初めて投稿します。
日本共産党と朝鮮総連および朝鮮労働党との関係についての私見です。
共産党大会に、今回初めて民団が、そして20年ぶりに総連がそれぞれ来賓として参加した事実を、広田薫さんの投稿から知りました。
私は『赤旗』読者ではありませんが、広田さんが指摘する「重箱の隅のような細かな話」の一つ一つは、この党が急速にたどろうとしている、左翼政党としての「思想的後退」を雄弁に物語っていると思います。
そのようななかで、民団・総連の両組織が大会に招かれ、また両者が参加したというのは、共産党をめぐる、久々に喜ばしいできごとだと考えます。
両組織を「在日外国人団体」として「外国の政党」と同項に括るというのは、たしかに、「在日外国人」をめぐる、共産党の保守的な姿勢の反映にもみえます。
また、私個人としては、「在日」の団体を「外国」と一緒に区分するやり方を積極的に支持する気にもなりません。
しかしながら、民団・総連とも、公的には「在外公民」の団体と自己規定しているわけですし、とくに総連は、自分たちの存在を「在外公民」として日本政府に認識させる(もちろんその歴史性を踏まえたうえで)、というのが組織としての強い方針・要求でしょう。
かつて「国内からの来賓」としていた組織を、「外国」のほうに区分した事情には、あるいは当事者の「意志」のようなものを斟酌した可能性もあるのではないか…。
また、なによりも重要なのは、共産党が同党と朝鮮民族をめぐる、戦前からの「関係」をどのように総括するかという点にあると思います。そうでないと、「国内」だ「外国」だと便宜主義的な扱いを繰り返すことになるでしょう。
解放同盟にせよ、日本共産党にせよ、戦前・戦後をとおして、彼らの組織内部に根強い民族差別性を抱えていたことが、近年明確に指摘されており(例えば金靜美『水平運動史研究』現代企画室)、そうした過去の自己批判なしに、にわかに「在日」の存在に目を向け始めても、政治的ポーズにしかみえない。
なにゆえに「国内」からのメッセージとみなすか、なにゆえに「外国」の組織とみなすか…。
もう一つ、朝鮮労働党との関係について。
私が日本共産党を政治的に意識するようになったのは、80年代も後半になってからですが、ルーマニア共産党とやたら友好関係をうたっていたのと同じくらいに、朝鮮労働党とは非友好的だったという印象を持ちます。
得意の「覇権主義」批判とか…。
それはともかく、まがりなりにも「社会主義」や「左翼」を標榜する国内外の諸政党に対し、その政治思想・理念を(相互に)批判していくのは、国際主義をかかげる左翼であれば、当然のことであり、義務であるとすら思います。
社会主義者・共産主義者どうしで、これを否定するようになったら、論理の次元としては民族主義への屈服ですね。
しかし、大方の賛同を得られないことを承知でいいますが、私は、こと朝鮮労働党に対しては、「抑制的」であるほうが、現段階においては、批判(というより非難)するよりマシ、のぞましいとさえ考えます。
一種の現実主義的選択として、です。
ソ連崩壊後、反動マスコミや保守政治家によって、日本の「仮想敵国」はいつのまにか北朝鮮(North KOREAという意です)になりました。
おそらくいま(も昔も?)、日本人が最も「キライ」な国は北朝鮮であり、その感情のかなりの部分は、戦前以来の朝鮮人差別と結びついていくのではないでしょうか。
ネットで垂れ流されてる、便所の落書き以下的差別言辞なんて、ひどいものです。
そのような状況にあるなか、いまあえて朝鮮労働党を「抑制」することなく「批判」し、関係を疎遠にすることは、総体としてみれば、日朝関係を遠ざけることの「一助」とはなっても、その逆にはならないでしょう。
私も、「共産主義者の党」が、「東南アジアの反動政府」といまさらに「交流」しようと努めることに疑問はありますが、それがアジア諸地域である場合は、「日本」の政党としてやむを得ない側面もあるのかな、くらいは思います。
理念より歴史が重みを持つ局面もあると思うのです。
であるから、北朝鮮政府との関係となれば、なおさらです。
「日本」の左翼を支持する私にとって、最も優先順位が高いのは、日米軍事同盟であり、君主制です。
朝鮮労働党に対し、少なくとも80年代以降の日本共産党が「批判的見地」を持っていることは、既に明らかなことであり、逆にいまさらその見地を改めて表明することは、日米韓の軍事的同盟関係の強化に資するところはあっても、その逆にはならないでしょう。
政治的行動の順序として、北朝鮮批判の順位は低く、広い意味での「友好」関係の形成がまず先だと思います。
いかがなものでしょうか…。