個人的な事情により、まとまった投稿ができませんし、そもそもこういうことがあったということの紹介としか考えておらず、「指名」がくるのは予想外だったので、不充分でしょうが、お許し下さい。
かつて「国内からの来賓」としていた組織を、「外国」のほうに区分した事情には、あるいは当事者の「意志」のようなものを斟酌した可能性もあるのではないか
というのは、たしかにその通りです。ただ、それが当該団体の「申し出」であったのであれば尊重するのが妥当でしょうが、そうでないのであれば、以前は「国内」からの扱いにしていた総連を今回、「国外」扱いにした説明をすべきだと思います。(本当は党中央に事情を問い合わせるべきでしょうが……)
そして、現在の朝鮮労働党への「民主主義」的立場からの「批判」の中に、少なからず民族排外主義的な要素がある、という指摘は、非常に「痛いところ」をつかれた、というのが実感です。じっさい、各種のいわゆる論壇誌をみればそう思わざるをえません。
「政府」と「人民」はべつといっても、当の人民自身から、そのような「民主化」促進の「思いやり」からの批判など拒否される余地は大いにあるでしょう。イラクをみてもそのような現象が生じています。まして、日本はかつて朝鮮を侵略した「大日本帝国」との大きな連続性をもった国家ですから。
したがって、「朝鮮労働党に対しては、「抑制的」であるほうが、現段階においては、批判(というより非難)するよりマシ、のぞましいとさえ考えます」というのは、いろいろな留保やためらいもありますが、よく理解できます。もちろん、党中央がそのような見地から「抑制的」であるかは大いに疑問ですが……。
正直、私自身充分まとまった結論には到達しえていない点もあるので、これ以上展開するのは又の機会にさせて下さい。
「らーめん大学」さんのご投稿にも関連することはあるでしょうが、これもちょっと言及は控えさせて頂きます。