日本丸さん、よくぞ聞いてくれました。
私こそは、愛の使者になろうと思っている者です。
日本丸さんも、何か、ボランティア組織に入って活動してみればおわかりになると思いますけど、愛がないと、どんな組織もまとまりません。お互いの主張や、行動に対する意見がちがう。それを調整するには粘り強い話合いが大切です。話合いの中で、お互いの要求の違いを認識したり、立場の違いも解ってきます。愛とは、一面では、知ると言う事だと思います。
愛と理解とは、ひょっとしたら、同義語ではないかと私は、思っています。完全に理解しあえるまでの努力をする人こそ愛の有る人だと思います。そういう相互理解のスペースを与えてくれる「さざ波」さんも愛のある人たちだと思います。
さて、いろいろ話したいことがありますが、愛と社会主義とを結びつけなければなりませんね。
又、横道にそれますが、レーニンは果たして人民に対して愛があったかどうか。否だと私は思います。プロレタリアートに対する愛はあったと思うけど、全人類に対する愛はありませんでした。{静かなドン}を読んでください。すさまじい内戦でした。愛がないからあの革命は失敗したのだと思います。
史的唯物論の社会発展の法則の中で、1.原始共産主義社会(母系制)、2.奴隷制(奴隷が基本的生産手段),3.封建制(農地が基本的生産手段),4.資本主義(資本が基本的生産手段)5.社会主義(愛が基本的生産手段)の説明をしなければ、なりませんね。今までの社会は、少数の多数への搾取でなりたっています。しかし、搾取のない社会を目指すのが社会主義なので、愛が基本だと私は思うのです。資本主義のように共食いをしていたら、人類は滅びてしまいます。共食いのない徹底した民主主義、これがこれから、われわれがめざす社会主義社会だと思います。
だけど、民主主義は手続きが面倒で骨がおれます。それに堪えられる辛抱強い愛が必要です。
説明が不充分だと思いますが、お許し下さい。また、寝ないで良く考えておきます。
余談になりますが、イエス・キリストは一種の社会主義者だったのではないかと私は思います。<汝を愛するがごとく、汝の隣を愛せよ>と言う言葉は、隣人の愛とか、アガペイの愛とか言われていますが、経済、情報ともにグローバル化した今こそ、実現されるべき理想だと思います。
暴力団的国がある間は、実現不可能です。暴力団的国を皆で批判しなければいけませんね。そして、そう言う国をどう取り締まるか、保障がないと、社会主義社会の実現は難しいと個人的に考えています。でも、出来ることがあったら、少しでも前進したい。
政治活動だけでなく、NGOとか、NPOにも、関心を持ちたいと思っています。