3月25日付、待子さんの「革命と民主主義」に関して一言。
レーニンの革命が後世なぜ失敗に終わってしまったのか。二段階革命を強行したことの無理が一つの遠因であると思うが、そればかりではないと思います。一番大きな要因は、国民に選挙制度を与えなかった事だと思います。なぜ選挙制度が無かったのだろう。社会主義政権誕生間も無いころは、選挙などと、のんきなことをやっていたら、周辺の資本主義国にたちまちやっつけられてしまったでしょう。
歴史的事実としてすでにご存知でしょうが、レーニンの革命は、革命直後に、憲法制定会議開催に向けた選挙をちゃんと実行しています。社会主義政権誕生直後に、選挙などというのんきなことをレーニンは真っ先にやったのです。
ボリシェビキが第一党になるのはほぼ確実と見て、レーニンは外国の記者に対し、余裕綽々の態度でインタビューに応じたそうです。
それが、あにはからんや、第一党になれず、25%ほどの得票で第二党に甘んじました。それでレーニンは怒り心頭、憲法制定会議は、レーニンのボリシェビキによってたった一日で暴力で解散させられました。
選挙名簿が革命前の古いものだった、そんな選挙名簿をもとに選挙したのだから選挙自体が無効だ、レーニンが憲法制定会議を暴力でつぶしたのも正当だという意見もあるようですが、それだったら選挙名簿を新しく作り直して選挙すればよかったわけで、選挙名簿をどうするかってことは、レーニン率いるボリシェビキ主導の人民委員会が決定できることだったのです。投票日を多少遅らせてでも選挙名簿を作り直し、言い訳できない状態で選挙すればよかったのです。
そういう手続き的な部分をきちんと整理せず選挙に突入、あまつさえ開票前「わが党が第一党になる、そんなことあたりまえなのさ」とレーニンはのたまった、けれど蓋を開けたら第二党、こんな会議はブルジョア的だからつぶせ、で、レーニンは憲法制定会議を暴力で解散させました。
「社会主義政権誕生間も無いころは、選挙などと、のんきなことをやっていたら、周辺の資本主義国にたちまちやっつけられてしまったでしょう」などという敵=周辺の資本主義国のせいでは全然ないのです。ボリシェビキが第一党になっていたら、たぶん憲法制定会議も、少なくとも数年は存在していたことでしょう。
他にましな政党がないから日本共産党を応援する、資本主義が悪いから社会主義を展望する。こういうのはたしかに一定の説得力をもっています。こういう消去法でものごとを選択するのは人間の知恵のひとつだと思います。
けれど、ここ「さざ波通信」でもさんざん言われている日本共産党の無責任政党ぶりは、すべて、こうした、「他にましな政党がない」、「資本主義が悪い」という消去法を論拠にしています。「おれたち=日本共産党がコケたら自民党とその亜流政党が跳梁跋扈することになる。それでもいいのか?」という脅しです。この強力な脅しにマジメな人は全部やられる。「それ自体の善し悪しはどうなのか?」=「日本共産党のやっていること自体の善し悪しはどうなのか?」という点から目を逸らされ、他の政党や資本主義という他者に目を向けさせ話を逸らすのです。日本共産党得意の「話題のすり替え論法」はけっきょくこの他者に目を向けさせ話を逸らす論法です。常に敵を作り出す、敵なくしては自己の存立基盤がない、そういう共産党の本質が、話題のすり替え論法の背景に存在しています。これはもう、どうにも救いようのない、共産党なる政党の本質です。
レーニンは革命当初、真っ先に、選挙で選出された議員で構成された憲法制定会議を暴力でつぶしました。そのほぼ1ヶ月前、レーニンは超法規的=法律とは無関係に「人民の敵」を殺すことのできる殺人集団=チェーカーを作りました。
これが、ソ連がたった74年で崩壊した真の原因です。
ソ連に民主主義がなかったのはレーニンその人によるのです。
レーニンは「民主主義などというブルジョア的なものは要らない」として放棄したのです。
周辺の資本主義国云々というような他者に目を向けさせ話を逸らす論法では、ことの本質は一切見えません。