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4/27付けの大歩さんの答えについて

2001/5/2 中村大輔

 大歩さん、ご返事ありがとうございます。
 貴殿の回答について私の見解を述べさせていただきます。
 まず、お答えの第2項について。貴殿は次のように述べています。

 「アメリカやロシアが防衛研究と称して攻撃用生物兵器を開発をしている疑問をどう思うかということについては、過去の経緯は兎も角として、現在、生物兵器の研究はまともな国のやることではないと思っています。」

 たしかに、アメリカは1972年の「生物兵器禁止条約」を批准し、ニクソン元大統領は1969年までアメリカが行なってきた生物兵器の開発を中止すると宣言しましたが、佐藤雅彦氏によると、アメリカは、依然として、生物兵器の開発を行なっている模様です。彼は、あるウェブサイトの中で彼の翻訳で近く出版予定の『細菌兵器の黒い霧ー米国の市街地散布・生体実験の真相』(著者:Leonald A.Cole)の内容を紹介し、次のように述べています。

 「本書は、アメリカ陸軍が生物戦研究に手を出し、自国民を相手に市街地で極秘生体実験を行うに至った経緯──これは石井部隊幹部とのヤミ取引を通じて日本の戦後処理問題とも分かちがたく結びついている──を概観し、77年の議会報告以降、明らかになった市街地での細菌戦実験の実態を暴露し、さらに、サンフランシスコでの秘密実験で祖父を失ったエドワード・ネーヴィン氏が国を相手に起こした訴訟の顛末についても詳細な報告を行っている。ネーヴィン氏の訴えは結局、連邦地裁にも高裁にも最高裁にも門前払いにされた。しかし訴訟手続きの中でこの実験の危険性や政府当局の秘密主義的な体質が明らかになった。そして80年代……レーガン政権の時代が訪れ、アメリカ軍部の生物戦研究は再び活発化する。84年には、一般設備の補修費という偽装的な名目で、陸軍がユタ州ダグウェイの生物化学兵器実験場──ここは1968年に神経ガスの野外散布実験で周辺農家の羊6,300匹が事故死し大騒動になったといういわく付きの場所である──にP4レベル(エボラ出血熱や天然痘などの最も危険な病原ウイルスに対応)の最高厳戒実験施設を建設しようと企てた秘密計画が発覚し、全米規模の論争にまで発展していくことになる。生物戦研究に再び拍車がかかったのは、内外ふたつの要因が効いている。内因は、1973年に技術が確立し76年に本格的な実験が可能になったDNA組み換え技術の登場であった。生物兵器は1度使用すれば勝手に増殖して敵も味方もなく伝播するので兵器として制御しにくい、という難点を抱えていたが、遺伝子工学の登場によって、この点を“工学的”に克服する望みが出てきたのだ。しかしこうした内輪の都合だけでは予算獲得はおぼつかない。なにしろ米国はニクソン政権の時に、生物兵器の装備や開発を一方的に放置した経緯があるからだ。」

 ニクソン元大統領が生物兵器の開発の中止を宣言したのには、生物兵器は一度使用すると敵国国民・軍隊だけでなく自国国民・軍隊にも感染を蔓延させるという厄介な兵器であることが分ったからです。しかし、現在のように、遺伝子組み換え技術を中核とする遺伝子工学が発展した時代においては、自国の国民や軍には被害を及ぼさない遺伝子組み換えウィルス・細菌を用いた生物兵器の開発が可能となったのです。ですから、アメリカは、局地戦争における生物兵器の効用を認め、再び生物兵器の開発に乗り出したと思われるのです。
 次に、第5項に挙げられた「生物兵器の防御手段と攻撃手段の区別」についてのあなたの答えについて言えば、すでにYTTさんが4/30の大歩さんへの投稿文で述べられたこの件に関してのYTTさんの反論に私も基本的に賛同しますので、この問題への私の見解は省略します。
 最後に、「つくる会」の歴史教科書の件については、戦争と平和についての貴殿と私の歴史観は根本的に対立したものであるようなので、これ以上議論しても平行線を辿ることは明らかである以上、私はこの件に関しては自分の見解を述べることは止めます。それにしても、貴殿の投稿文は、私には、いやしくも投稿するのに十分な調査や最低限の関連事項の勉強もせずに思いつきで書いているようにしか思えません。そのような投稿での質問には今後はお答えするつもりはないことを申し添えておきます。