日本人と朝鮮半島の人々の顔立ちについてですが、表現する際に、それぞれがお互いに、自国を温和な顔立ちに(たれ目がちに)、相手国をきつい顔立ちに(キツネ目風に)描く傾向があるという研究を、出典は忘れてしまいましたが呼んだことがあります。実際に違いがあるのだとしても、せいぜい個人差の範疇に収まるものなのでしょう。
そうした「感覚」のみでしか判断できない、イメージに過ぎないものを援用して議論を組み立てるのは、やはり慎重になさるべきなのではないでしょうか。
又、「ラストエンペラー」についてですが、日本で「遊んできた」と受け取れるような描写は、ビデオでも確認してみたのですが、描かれておりませんでした。それも上記の「顔立ち」と同じで、そういうイメージを事前に持ってしまっていたからこそ、そのような描写があったと思ってしまったのではないでしょうか。
なお、少なくとも、各関係者の自伝や回想録、上坂氏などのノンフィクションなどを読む限りでは、映画における妊娠の経緯が創作であると判断せざるを得ません。ベルトルッチならではの優れたドラマ構成だとは思いますが、それと歴史的事実とは別問題です。現実の判断に、「創作」に与えられたイメージを持ちこむのはいかがかと思われます。