すでに時機を失してしまったような気がしますが、私の考えを述べさせてもらいます。
台湾がほとんどすべての面に於いて中華人民共和国のメカニズムから自立していることは、誰もが認めることだと思います(もちろん日米の軍事力によっていることも)。
また国民党の白色テロに抗しながら民主化をかちとって来たということも知っていると思います(それは総統直接選挙というかたちで表現されていますが、決して李登輝の英断によってではなく、多大な犠牲を払ってきた台湾の、そして世界中の民主主義を求める人々の闘いの上に表現されたものです)。そして様々な社会運動が台湾では成長しつつあり、世界の流れにそのオルタナティヴを模索しようという潮流も少数ですが生まれています。
わたしは台湾を考える時に、この事実から出発します。思考の方向は「新しい社会の創造のための変革」です。
もう一つ思考するための前提として、中国の変化があると思います。革命中国が、様々な問題はあれど、世界的な社会主義革命を押上げる一つのモチベーションとなっていた時代であれば、中国の政治体制の変革とセットで台湾の社会体制の変革をむすびつけ、新しい世界的な社会主義革命のためのモチベーションとして位置付けることができたのかもしれません(そのような時代においても「反帝・反スタ」というスローガンを掲げて社会主義体制を否定する人たちもいましたが、それは間違いです)。しかし「社会主義」国の官僚は、世界の民衆の闘い、自国の民衆の闘いを抑圧、弾圧し、裏切ってきました。中国においてもそれは同じであると言えます。「革命中国」という威厳と伝統はなくなってしまいました。また中国内部においても、進む資本主義化によって労働者、農民をはじめ多くの民衆が、官僚と資本家(国内外の)によって生活さえも困難な状況になっています。
このような状況において、台湾における社会変革にむけた運動の課題は、決して現中国への国家的な統一ではないと考えています。台湾においては、民主化達成以前にも増してますます社会変革(社会主義革命)が必要であると思います。
台湾における社会運動、あるいは社会主義革命を考える際、台湾の前衛はやはり中国の労働者・民衆へのまなざしを除外してはならないだろうと思います。労働運動、環境運動、女性運動などさまざまな社会的な運動において、中国の内部の動きと、可能な範囲で連携していくことを追及することが、台湾の前衛にとっての任務ではないかと考えています。
その際には、中国官僚の利害とは徹底して一線を画さなければならないでしょう。中国の政治体制に対する民衆のまなざしは批判的です。新しい社会を求める台湾の、あるいはその他の国・地域の左翼が、何らかの利害関係から中国官僚の利害と一致して、同じ方向で思考、行動するということを目の当たりにした中国の民衆は、けっしてその左翼のイデオロギーが、新しい社会へ向けたものであるとは認識しません。台湾をはじめ他の国・地域の左翼は中国における反官僚、反腐敗をかかげている中国民衆の闘いに連帯する努力を惜しんではならないと思います。そうしてはじめて中国の民衆との思想的な、ひいては運動的な統一が可能であるのです。
・・・という前提(長いですね)に立てば、李登輝が日本の右派勢力と結んでいるということには、断固糾弾しつつ、台湾において反資本主義的左翼の闘いを支持する。しかし日本共産党のように「台湾は中国の一部で、外交にも支障をきたす」というスタンスで李登輝の訪日に「ごねる」態度はとらない(「国民政党」的なスタンスはとらない、ということ)。反共右派による台湾独立・チベット独立を断固拒否しつつ台湾やチベット民衆の闘いに連帯する努力を惜しまない。韓国、台湾、中国をはじめとするアジアや世界での民衆の闘いに連帯しそれをつなぐ努力をする。そしてなによりも日本において、国際主義、エコロジー、フェミニズムなど進歩的な思想に根ざした反安保、反改憲、反差別などを闘う、ということが重要です。
「台湾独立」の主流は日米安保体制を背景にした勢力です。このような流れの中で国家的独立をはたしたとしても、それは決して民衆のためにはならないでしょう。李登輝の訪日もその揺さぶりをかける目的もあるでしょう。しかし私は「訪日反対」という方法で、台湾と中国の真の統一が達成される事はないと考えています。むしろ逆の効果を生むのではないかとも思います。台湾と中国が民衆の立場に立って統一するためには、前述した台湾、日本、中国、世界の左翼の長く困難ではあるが、希望に満ちた闘いが必要です。
長くなりました、「国民政党」への王道を爆進する日本共産党に結集する青年は、このように世界的な階級闘争にどのように介入していこうとするのかについて、真剣に討論してもらいたいとおもいます。「内政干渉」ってボリシェビキの用語じゃないよね?