投稿する トップページ ヘルプ

一般投稿欄

対案を出す必要はない

2001/6/22 まっぺん

 地域経済分科会さん、こんにちは。
 私は「君が代の対案」を提案する事にはあまり意義を認めません。それどころか反対します。その理由はふたつあります。
(1)「国歌」とはこの国を称える歌です。そして、その「称えるべき内容」は、この国の自然や歴史ばかりでなく、一般的にこの国の社会・政治体制も含めて称えるものです。私たちは、いったい今の日本の社会・政治を称える事ができるのでしょうか? 歴史教科書の例ひとつをとってみても、私たちは近隣諸国にとても顔むけできるような政治・社会を作りだしてはいません。そのような「国家」をたたえる歌を制定することにそもそも反対します。国歌など別に制定しなくてもいいのではないでしょうか?外国には国民の愛唱歌のようなものが国歌のように歌われているが実際には何の法律的根拠もない「国歌」も存在すると聞いています。また、アフリカでは複数の国家が黒人解放のうた「ンコシシケレリ・アフリカ」を国歌として採用しています。
(2)戦術的にいって、そのような運動は「墓穴を掘る」おそれがあります。私の知る「ある右派のひと」は「左翼の諸君は積極的に国歌の対案を出すべきだ」と言っていますが、なぜそんな事を提案するのでしょうか?実際にそういう運動が起こった場合を想像してください。「君が代反対派はどんどん対案を出していきましょう」と言われますが、もしもそれが国民的運動として発展できなかった場合、さらにはいくつもの「対案」が出てまとまらなかった場合、それでも政府は、そのような動きをとらえて「国民は国歌制定のための運動をしている」とし、「国民投票による採決」の口実を与えてしまいます。「君が代」がどんなに反動的な歌であっても、これまで100年の永きにわたって歌い継がれてきており、今の情勢で「国民投票」をすればおそらく他のどの歌よりも多くの得票をするでしょう。そうなれば、「反対派も含めて国民がみんなで決めたのだから」という「君が代=正統な国歌」の根拠を与えてしまいます。
 したがって「対案制定運動」には反対します。「君が代には反対」という、その一点だけで全反対勢力は団結できます。しかし「対案制定運動」は反対派を複数の「対案勢力」に分断することになるでしょう。