今度は、セクハラと、弁証法についてですね。
セクハラについては、今度の文鳥さんの投稿で、かなり理解できました。ホームページを読む限りでは、未遂かと思っていました。
私は、どこでも悲しいくらいに紅一点で活動したり仕事をしたり碁を打ったり、の過去でした。男性との一対一の関係が乏しいので、一度もセクハラされたことが無く、よくわからないのです。余程魅力のない女性なのですね。
私がかって、働いていた職場の上司(年下)は、私の部屋に入ってくると、私の肩をもんで、つぎに首を軽くしめるのが挨拶がわりでした。それは、年上に対する愛情の表現だと思っていました。そこには、男女の意識は、全くなかったと思います。
文鳥さんの事とは無関係に、セクハラに関しては、何処までと言う判断は、むつかしいと私は常々思っています。
若い女性は、肌をあらわにして襲ってくれるのを期待してるかの様な人もあります。私は、むしろ最近多い逆セクハラにどちらかというと同情しています。男性専用車が欲しいという、男性の気持ちもわかります。
次に、弁証法についてですが、弁証法に、異議があるとは驚きでした。私は、貴方のように難しいことは何も解りません。
ただ、物事を、発展するもの変化するものと考え、固定的に考えない事だけです。
昨日の敵は、今日の友、と言う事はよくあります。敵はいつまでも敵ではなく、或時点で敵であったというだけです。(鬼畜米英を倒せ)という、スローガンの下で、私は育ちました。今になって思えば、一番の敵は、わが国の指導者でした。世の中そんなもんじゃないでしょうか。