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一般投稿欄

ST編集部員の都議選評論を拝見しての異論

2001/6/28 雁古、60代以上、会社員

 都議選投票日直前の「赤旗」に「そのとき歴史が動いた」のキャッチフレーズが大きく掲げられていた。最終日の選挙活動の昂揚を狙ったものだ。結果はご覧のとおり。さて、挽回を期して参議選にも使うだろうか?
 ところでこのフレーズ、共産党が都議会あたりの自己の議席を増やすために、使っていいものだろうか。
 共産党が増えればそのうち歴史が動くことになるから、いつ使ってもええじゃろー、という自意識過剰の軽い戯れ言葉ならともかく、まじめな話なら噴飯ものだ。歴史を見るものなら、小泉総理が90%近い支持率を獲得したこと、彼のメルマガ登録が200万人を超えたこと、これこそ「そのとき歴史が動いた」と言うべきだろう。地方自治の歴史からすれば、石原都政が始まり長野県に田中康夫知事が誕生したとき、それぞれが従来の閉塞した歴史に風穴をあけ、角度を変えた軌跡を描き始めた・・・、何百万、何千万の人口が参加してそれぞれの単位の『歴史が動く』のである。
 こうした歴史観からすれば、日本は期待できるいい方向へ展開し始めたと言える。その先に憲法改正があれ、防衛問題があれ、外交の新しい見地の開始があれ、内政の混乱があれ、未来の歴史は洋々としている。このような先見で、この現実の歴史の進歩的な側面の展開に、あらゆる分野で荷担していくのが『コミュニスト』の役割だろう。この場合、共産党や共産主義者の掲げる綱領的尺度や彼等が好んでする右翼だ反動だなどどいう屁のような価値判断は泡沫の値しかない。革新政党としての原則とやらも歴史の壁に己の頭を打ち付けて零落の憂き目を見るのが落ちである。

 私は、共産主義者を自認する人、共産党そのもの、が実は確かに「共産主義者」であり「共産党」であり、総じて『科学的社会主義者』に相違ないと認める。しかし、彼等は決してマルクスの定義する『コミュニズム』『コミュニスト』ではない、だからこそ非生産的な無限の論争がお遊びになっているのだということを学んだ。ほかならぬ『共産党宣言』からだ。そこには、「コミュニストは決して己の政党は作らない、綱領などを持っておのれの行動を縛らない」、「コミュニストの理論上の諸結論は、あれこれの自称万能改革者によって発明されもしくは発見された思想や原理に決して基づかない。それらはただ世間一般の言葉遣いで、現存する階級闘争から、我々のまさしく眼前で進行している歴史的な運動から、発するその時点の諸利害関係を、表現するに過ぎない」とある。
 コミュニストは、20世紀にボリシェビキがはかりしれぬほどの罪悪を刻み込んで破産したことを教訓に、党に拠らざるエーテル的な行動パターンを個人を単位に確立しなければならないのではないか。そんなつもりで「さざ波通信」の充実と発展を願っている。