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しろうさんへ

2001/6/29 浩二、40代

-  2001年6月27日付、しろうさんの『paul氏と浩二氏へ』に対してです。

前者だとすると、心神喪失中の行為が犯罪となる可能性がありますが、そうすると、心神喪失者の行為を罰することが、故意や過失を犯罪成立要件とする刑法の立場と整合するのか、が問題となると考えます。

 これは、現行の法運用を固定して考えることによって出てくる考え方でしかないと思います。
 心神喪失中の行為として殺人行為が犯される場合があります。それをなぜ「心神喪失だから無罪放免」しなければならないのでしょうか?
 「故意や過失を犯罪成立要件とする刑法の立場と整合するのかが問題となる」ということであれば、刑法を変えればよろしい。私は単純にそう考えます。何も、現行刑法を絶対と見て、その上で整合性をとる必要などどこにもありません。

しかし、学者が長い時間かけて観察しても意見が対立するような事柄では、そんな一義的明瞭性を求めるのは難しいのではないでしょうか。だからといって、そんな不明瞭なことは止めてしまえというと、心神喪失者が刑罰を科される可能性が生じます。心神喪失者の存在を認め、その可罰性を否定する立場をとるなら、不明瞭だからといって止めてしまえというわけにはいきません。

 議論が進んでくると、必ずこういう意見が出てくるんですね。こういう意見が、「心神喪失で無罪放免は正当だ」と考えている人から出てくるのが不思議です。
 心神喪失者が刑罰を科されるのがなぜ不当なのか? それはいかなる理由によるものなのか? しろうさんには、こうしたことの説明がまったくありません。これも不思議なことです。
 心神喪失者のことを、もし、「何の前兆も無く突然そういう状態になったのだから、彼にその責任を問うことはまかりならない」というのであれば、では、こうした心神喪失者に、「何の前兆も無く突然殺された」被害者は「不運だった」といって諦め、その心神喪失者を許すのが妥当なのか。では、こうした心神喪失者に、「何の前兆も無く突然家族を殺された」被害者家族は、「不運だった」といって諦め、その心神喪失者を許すのが妥当なのか。
 人ひとりの人生を抹殺しておきながら、心神喪失者は、「自分は何の前兆も無く突然そういう状態に陥って殺人行為を犯したにすぎないのだから、許されて当然だ」という理由で無罪放免され自分は生きる。それが妥当なのか。
 心神喪失者に刑罰を科すことは不当であると考えている方々は、被害者や被害者家族のことなど何一つ考慮していない人間であると私は思います。