>6月4日の投稿で待子殿を妻が「よく勉強している方だ」と誉めた率直な気持ちがこの様な投稿に返ってくる事に軽い驚きを感じています。
> 妻は前から待子殿の事を「物知りなのよ」と印刷しては私に見せていましたから、妻の心は待子殿に何も悪意を持っていなかったことは私が保証します。
私は客観的に一連の文章を拝見申し上げておりました。
しかし上記の文鳥様の夫様がこの文章を掲げた時点で、逆に言えば文鳥様方々の裁判闘争の原点がどのようなものかを私なりに理解しました。(勝手な理解ではございます)
もとより基本的に国民には裁判権は保障されていますので、自己の意思に基づき裁判闘争をする事は当然自由な事です。
この点では裁判闘争の原点に私怨があるかどうかはあまり問題にはなりますまい。ゆえに文鳥様方々には「どうかご自身方々の権利闘争を頑張ってください」と言うだけではあります。
されどもどうしても文鳥様方々に対する違和感は拭えませんでした。なぜならば文鳥様方々の裁判闘争の本質的意味が理解できなかったから。
ひとつの裁判の原点が私怨なのか、公憤なのかは、傍で見ていてはなかなか理解できない部分があります。ゆえに私はこれに関しては断定はしません。もっとも実務上数多い私怨で裁判を起こすケースにしてもそれはそれで正当な権利行使です。権利として保障されているからです。
しかし私怨を裁判する場合はそれを裁判所で争うべきであって、このような場で公憤を仮装して言うべきことではありますまい。されどもそれが本当に公憤である場合は、それに共感して連帯も起こり得ましょう。この意味では今後の文鳥様方々の推移をこれまで通り見守りたいとは思います。しかし私は率直に言って具体的にあまり積極的に関与しようとは思いません。
なぜならば、今回の文鳥夫様の待子様の客観的論評に対する上記発言を見れば、文鳥様のご意見に対して全面的に賛成しないと、あるいは感情的にでも「同調」しないと、文鳥様方々の被告にもなりかねないようにも思えたからです。
待子様の
>インターネットは、諸刃の剣です。自分にだけ利があるとは限りません。ご主人様のおっしゃる通りです。
と言うご発言は正鵠を射ているような気がします。
いずれにせよ、今後とも頑張ってください。