二度目の投稿をさせていただきます。
その1 J.D. さんの新投稿について
若く、しかも、複雑な事物を扱うための論理的訓練を積んでおられるようにお見受けする、J.D.さんの持説展開がようやくはじまりました。レーニンの健全な面を継承することをはっきりうたっておられる点に共鳴する者の一人として、私、心待ちにしてました。
どうやら、綱領とは本来どうあるべきかをテーマにして「私の綱領規約改訂案」の欄に連載されるようですね。が、なぜか第1回だけは党員投論欄に掲載されています。(2001/5/22 我が党こそ解党的出直しを J.D.)どうしてなんでしょうか。
今までの共産主義運動についてどのような見解をもたれる方も、ぜひ一読していただくよう、おすすめします。
付記 J.D.さんにお願いしたいのですが、あとからまとめて読む者のために
1 我が党こそ解党的出直しを 01/5/22
2 党綱領の根本問題 01/5/29
3 革命闘争の構造 01/6/5
のように通し番号(何回めか)をふっていただければ、と思います。さらにできれば、目次のようなものを早めに乗せておいていただけるとうれしいですが。
また、編集部の方には、第1回の分を「私の綱領規約改訂案」の欄にリンク(米印)しておいていただけませんでしょうか。
私としては、レーニンの真理論に対するJ.D.さんの異論(批判?)にも興味があるので、要旨だけでも結構ですから、そのうち「科学的社会主義」の欄あたりに書き込んでいただければありがたいです。
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その2 「財界の財界による財界のための政治の実現は小泉新政権の〈歴史的使命)である」か?(トピックス欄、6月5日付けS.T.さんの記事について)
書かれている大筋に対する異論ではありません。ただ、「財界の財界による財界のための政治の実現こそ、小泉新政権の歴史的使命である。」という一文に対する意見です。
財界の、小泉政権に期待するものが「財界の財界による財界のための政治」であり、事実としても小泉内閣の「本質」がそういうものであったにしても、それを「歴史的使命」であるというのは不適切であると思います。
そもそも、「歴史的使命」という言葉は、歴史観にかかわる言葉であって、社会主義社会の実現を展望する者なら、たとえば「賃労働者階級の歴史的使命は階級社会の廃絶である」というように使うべきものだと思います。特定の人々の、その内閣をどのように利用しようかという意図や、資本主義のシステムの存続を前提にして、その内閣がその中でどのような機能をはたすものであるか、ということは、「意図」や「本質」とは呼べるかもしれませんが、社会主義の生成過程に対するそのものの意義を表わすのではないので、歴史的使命と呼ぶことはできないと思うのです。
問題にしている部分は「小泉新政権の本質は財界の財界による財界のための政治である。」とでも、言い替えるべきだと思います。
「さざ波」編集部が情勢をきわめて厳しいものと見ていることは承知しています。小泉内閣の誕生でさらに危険が増したとみるあまり、S.T.さんがニヒリズム史観(資本家の支配は永遠である)の用法で歴史的使命という言葉を使ってしまっているのでなければ、さいわいです。