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再度、文鳥さんへ 待子

2001/6/1 待子

 文鳥様、さっそくのご返事有り難うございました。
 私が、ITの仕事をしているからと言って、私には、技術は有りません。文鳥さんの方が、ホームページを立ち上げていらっしゃるのだから、遥かにIT技術は上でしょう。
 私は、ITに未熟だから、仕事を通して勉強をしようとしているだけで、ボランティアは二次的な要求です。
 とはいえ、この仕事を通して、いろいろな方に会えるのは有り難いことです。
 先日も、こんなに美しくて、こんなに聡明な人が居ていいものだろうかと思うようなインストラクターのお嬢さんにめぐりあいました。その後、メールの交換をして、考え方も一致している事が解りました。
 でもです。もし、私が彼女と同じ年だったら、私は、きっと彼女に嫉妬するだろうと思います。彼女に意地悪をしてみたくなったり、彼女を無視したり、するかもしれません。幸いな事に余りにも年が違いすぎて、彼女に対する競争心なんて、まったく湧いて来ません。素直に彼女を師として仰ぐ事ができます。
 人間の心なんて、ちょっとした事でねじれてしまうものだと、思います。だからこそ、確固たる哲学が必要だと思います。
 話を本題に戻しますが、私は、闘争者に対しての理解は持っているつもりです。一人の人が闘争することによって、多くの労働者の地位の向上につながるとか、経営者が、安易に首切りをできなくなるとか、労働者一般に対するメリットは計り知れないと思っています。
 その意味において、私は、私の友人の組織に支援しました。また、闘争者は、闘争が終わっても、その後の人生において他の人より苦労を強いられます。闘争期間の年金が少なくなるとか、なかなか大変だと思うので、今はあまり交流はないけど彼女の生活について心配はしています。
 しかし、これは、私だけの感じ方ですが、私の友人から受ける印象は、時代の熱にうかされていたという感じがします。当時、日本共産党が英雄主義を取っていた関係で、闘争者は英雄とみなされていたと思うのです。本人にとっては、極めて深刻な状況はあったと思いますが、それだけに、回りが英雄として見ていたと思います。私自身も多少そういう気持ちがありました。
 文鳥さんの場合、共に闘った一方だけが英雄視される不満から、日本共産党に対する闘争が始まったのではないでしょうか。不満は、同僚に対してあるのに、なぜ日本共産党が槍玉にあげられるのか、ちょっと、むちゃくちゃな論理だなと思うのです。そこのところが、さっぱり理解できないのです。
 私は、先の投稿で、イエス・キリストの言葉を引用して、(人を裁く無かれ)ということを主張しました。だから、これは批判ではなく、質問として、聞いてください。
 自分にとっても、また、かっては愛した日本共産党にとっても、損にしかならない行動をどうして取らなければならないのか、それだけのエネルギーを将来に向けたらうんと得なのに。(辛酸)さんとは、状況が、全然違うと思うのです。(辛酸)さんは、許された党内闘争の結果報告です。
 文鳥さんご自身が、否定している、日本共産党から、かっての功労者として認めてもらわなくとも、一向に構わないことでは、ないでしょうか。日本共産党に何を求めて闘争していらっしゃるのか、私には理解が出来ません。
 とはいえ、文鳥さんの人生だから、文鳥さんが何をなさろうと私は否定はしません。
 ただ、一つ心配なのは、日本共産党が取った英雄主義という誤った方針の被害者でなければいいが、という老婆心です。
 「さざ波」さんは、心の広い方たちでしょうから、規定に反んしなければ何を書いてもかまわないんじゃないでしょうか、まして、私たちは党員ではないし、どこからも罰せられることは、ありません。次回のご投稿を楽しみにしています。