菅井さん、励ましてくださった上に推薦までしてくださって、感謝しております。私は現在、まさに「複雑な事物を扱うための論理的訓練」を積んでいる段階であり、本来「持説」など展開できる立場ではないのですが、この投稿自体が一つの訓練であるという思いと、今ひとつ、私の発言で少しでも党の堕落に歯止めがかかれば、という思いから、投稿しているしだいです。
二度目の投稿ということでしたので、一度目を読ませてもらいました。「政治専門家としての党員の資質と資格がない」というのは私も同じです。同じというと失礼かもしれませんが、私には共産党員としての資質や資格はありません。ないと分かっているから、それらを創り出す努力をしているところです。そもそも党員としての資質と資格がない、と分かっているだけでも、他の党員よりはましだと思っています。党員として求められる能力を知っており、従ってその能力を身に付けるための努力の方向などを知っているからです。
一例を挙げれば、不破哲三の本など読んでも全く無駄だということを知っているのです。こんな努力は共産党員たらんとしている人にとっては、たいして役に立たない。こんなことをいうと、大多数の党員からは感情的な反発を招きかねないので、これらの人に少し配慮して述べるならば、不破哲三の本は、それなりに立派な社会民主党員になるためには役立つのではないかと私は思っています。つまりそれなりに立派な日本共産党員になるためには役立つのです。
それから、党員としての資質といっても、本来一様ではありません。なぜなら、本来共産党内部では様々な分業が発展しているはずだからです。分業なら十分に発展しているではないか、という反論も考えられますが、私がいっている分業とは、そういった方々が考えておられる常識的な分業ではありません。端的にいって、科学的分業のことです。これに関しては、いずれ説明できると思います。
私の投稿のテーマに関しては、少し誤解があるようです。私は「綱領とは本来どうあるべきか」というテーマに絞って論じようとしているわけではなく、あくまでも現在の党の逆立ちぶりを広く、一般的に取り上げようとしているのです。その中で、現在の党には全く欠落している国家論や革命論等に触れていこうと思っています。
最初の投稿は、本当に一般的なことでしたので、党員投稿欄に書き、二回目は明確に綱領に関する内容でしたので、「私の綱領規約改訂案」の欄に投稿しました。三回目は、国家論でしたが、組織論・運動論にも関係していますので、問題別討論欄のどこに分類すべきか迷いました。従って「指定なし」を選んで、編集部の方に任せました。おそらく、内容の連続性の故に、二回目と同じ欄に分類されたのだと思います。
また、私はほとんど思い付くままに書いています(これではあまり訓練になっていないような気がしますが)ので、予め目次を載せることはできません。ただ、私としてもできるだけ多くの人に読んでもらいたいので、読みやすくするための工夫はしたいと思います。
レーニン真理論に関しては、要旨くらいですと以前書いた気がしますが、またまとめてみたいと思います。もっぱら文献解釈に従事する自称「哲学者」の方々は、さすがに真理論に関してエンゲルスとレーニンの見解が異なっていることには気が付いたようです。しかし、変化といっても発展もあれば後退もあるということをご存知ないのか、はたまた新しければ発展に決まっていると短絡的に決めつけてしまった(この論理だと、当然不破哲三が最高の到達点になる。一番新しいから)のか、いずれにしても内容を検討せず(というより検討できず)、レーニンを賞賛している有様です。
これではヘーゲルを踏まえずに(というより踏まえることができずに)、ヘーゲル以前の問題を現代的にアレンジして云々している現代思想同様、何の見るべき成果もあがらない、ということになります。
レーニン真理論の欠陥とレーニン国家論の欠陥とは、大きな目で見るならばつながっているように思われます。簡単には認識論の欠如です。レーニンは哲学をあまり勉強していませんでしたから、エンゲルスより原理的に後退してしてしまっても仕方がない、というよりむしろ当然といえると思います。このあたりも、詳しくはいずれということで。