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嫌煙家氏の投稿に答える

2001/7/18 S・T編集部員

 7月16日付嫌煙家氏の投稿にお答えします。
 まず、「革命的左翼を標榜してきた「さざ波通信」」という言い方はきわめて不正確です。われわれは一度も「革命的左翼」などという大風呂敷を広げたことはありません。われわれは、自分たちの力量が乏しく、その影響力もきわめてささやかなものであることを十二分に自覚しています。わずか数名の末端党員が、「革命的左翼」などという大風呂敷を広げるのは、実に滑稽なことであり、真面目な活動家を反発させるだけでしょう。「革命的」という言葉は、口先だけのラディカルさを表現するお飾りの形容詞ではありません。それはすぐれて実践的な意味を持っています。真に革命的な大衆的行動や現実の進歩的変化をつくり出す能力を持った者だけが、「革命的左翼」を自称することができます。たとえば、資本主義の打倒、とか、現政権を打倒せよ、といったスローガンを公然と口にするだけで、弾圧されるような国においては、そのようなスローガンを公然と掲げる勇気を持った人間は、たとえたった一人でも、革命的であると言うことができるでしょう。だから、戦前の日本共産党員は、大衆を動かすことができなかったにもかかわらず、真に英雄的な革命的左翼だったと言いうるのであり、われわれは心からの敬意を持っています。しかし、そのようなスローガンをインターネットで百万回書き込んでも、いかなる弾圧も受けない現在の日本で、「革命的左翼」たるには、その革命的な実践的能力を示す必要があります。そうでなければ、インスタントラーメンのように簡単に「革命的左翼」ができあがることになるでしょう。本当に真面目な活動家なら、軽々しく「革命的左翼」を自称するようなグループを信用しないことでしょう。
 また、嫌煙家氏は、革命的左翼(?)を標榜してきた『さざ波通信』が「全面的に「護憲」を掲げるということにはどこか座りの悪さがある」とおっしゃっています。「護憲」は、現在の政治情勢における対決点を簡潔に表現したものであり、社会主義・共産主義の綱領的展望とは区別されるべきものです。われわれは革命的左翼を別に自称していませんが、しかしたとえ革命的左翼を自称していても、現在の情勢において投票選択の基準に「護憲」を設定することは何ら「座りの悪い」ものではありません。それが「座りが悪い」と思うとすれば、「革命的左翼」というのは、年がら年中、「社会主義革命」とか「世界革命」とか「内乱」などといった過激なスローガンを掲げているべきだという発想がどこかにあるからではないでしょうか。しかし、そのような「革命的左翼」は、左翼の戯画でしかなく、これまた真面目な活動家に嘲笑されるだけでしょう。「護憲」というスローガンは、『さざ波通信』で説明してきたように、天皇条項を擁護するものではなく、9条をはじめとする憲法の民主的・平和的条項を反動的改憲から守ることを意味しています。改憲が支配勢力の中短期的な政治日程に確実にのぼっている今日、「護憲」を投票基準にすることは絶対に必要なことであり、革命的であろうとなかろうと、すべての左翼がそれを焦点の一つにするべきものです。
 次に、本題の今回のバナーについて説明します。今回のバナーのような言い方は、何も初めてではありません。というよりも、『さざ波通信』はごく初期の頃を除いて、選挙のたびに、特定の政党を名指しすることのないスローガンを掲げてきました。それは、まず第1に、公職選挙法との関係で、インターネット上での選挙活動というものがどこまで許容されるのか、今のところまだ不明確だからです。
 第2に、バナーという手段の性格上、日本共産党への支持を直接訴えるスローガンだけを掲げることは、説明不足の感が否めない一方的スローガンになってしまうからです。たとえば、「参院選は日本共産党に一票を」というバナーを出したとしましょう。ただちにさまざまな疑問が生じます。なぜ日本共産党なのか、なぜ他の政党、たとえば、新社会党ではダメなのか、あるいは、今回の選挙は比例代表選挙と選挙区選挙の両方があるが、選挙区選挙でもすべて日本共産党の候補者なら必ず投票するべきなのか、等々、等々。それらを説明することなしにこのスローガンだけを出すのは無責任ですし、読者に混乱を与えることになるでしょう。
 第3に、日本共産党員なら選挙のたびに必ず共産党およびその候補者に入れなければならない、ということにはなりません。それは非常に機械的な考え方です。われわれが共産党員であるのは、歴史的総体としての日本共産党の組織と運動に意義を見出しているからであって、選挙のたびに必ず共産党に投票することを契約したからではありません。自民党員であっても、汚職のひどい自民党にお灸をすえるために、選挙の際に一時的に別の党に投票することだってありえます。彼の行為は、自民党員としての階級的裏切り行為ではなく、逆に、自民党の再生を願っての戦術的行動でもありうるわけです。また、これまで支配階層に連なる人々は、自民党をより新自由主義的で帝国主義的な党にするために、しばしば、その投票行動において、自民党以外のブルジョア政党に投票するという選択をしてきました。この選択は、彼らの階級的利害からして、誤っていた、あるいは、裏切りであった、と言えるでしょうか? 言えません。むしろその反対です。先見の明のある支配グループは、その戦術的投票行動によって、自民党を自分たちの利益により合致した方向に押しやろうと努力してきました。彼らは、個々の選挙での得票という戦術的で短期的な利益よりも、より大規模で根本的な歴史的利益(ブルジョアジーの)を擁護したのです。同じことは、プロレタリアートの場合にもあてはまります。
 われわれは、どの党、どの候補者に入れるべきかの選択を『さざ波通信』の読者自身に委ねます。ただし投票の基準は厳しく設定するべきです。それこそが、「小泉改革と対決し、護憲と革新の旗を守る」という基準です。この基準にのっとって投票するべきである、というのがわれわれの考えです。党員なら必ず共産党に投票すべきだと考える人は、共産党に入れるでしょう。われわれのスローガンは、そのような選択をも排除していません。
 われわれがあのようなスローガンにしたのは、共産党への不支持を示唆するためではないか、と嫌煙家氏はおっしゃっていますが、それは、かなりうがった見方であり、こう言っては何ですが、いささか官僚的な見方です。官僚はあらゆるところに、陰謀、謀反、裏切りの匂いをかぎつけます。もちろん、われわれは、嫌煙家氏がそのような人ではないことを知っています。しかし、共産党という組織に長く所属していると、本人がたとえ官僚的でなくても、官僚の見方というものを知らず知らずのうちに身につけてしまうものです。言うまでもなく、われわれは共産党への不支持を示唆したいのではなく、共産党以外にも、われわれの設定する基準に合致している政党や候補者が存在しうることを念頭に置いているだけのことです。また、「支持」と「投票行動」とが一致しない場合もありうることを理解しているだけのことです。
 われわれは、現役の党員や支持者の中に、今回は共産党への投票を見送るという選択をあえてする方が実際にいると思っています。それは、党内民主主義がほぼ完全に制圧されているもとで、党員が自らの抗議の意思を実践的に示すほとんど唯一の形態です。それは、けっして裏切り行為ではなく、これらの人々がそのような選択をしたとすれば、その責任は彼ら・彼女らにあるのではなく、そのような選択をさせた党指導部にあります。責められるべきは、指導部です。われわれは、そのような選択を積極的に勧めることはしませんが、しかし、そのような選択を頭から排除するつもりもありません。もし共産党に入れずに、民主党に入れたとすれば、そうした投票行動は批判されるべきでしょう。なぜなら、それは、「小泉改革に対決し、護憲と革新の旗を守る」という基準に真っ向から反するからです。しかし、この基準に合致している政党や候補者が他にいて、そして、共産党が今日、あれこれの面で大きな後退と右傾化をしているとすれば、一時的・戦術的な投票先として、他の革新的政党や革新的候補者に投票することが間違いであると、なぜ言いうるのでしょうか? そのような選択の可能性を念頭におき、そのような選択を排除しない形のスローガンを提起することが、どうして共産党員にあるまじき行為になるのでしょうか? そのような発想は、どこかしら「唯一前衛」という共産党の特権的・絶対的地位を前提にしているのではないでしょうか? 
 嫌煙家氏は最後に、「こうした重要な時期に党への支持を訴えるというようなことは、「さざ波通信」の党批判の説得力を増すことにはなるのではないだろうか」とおっしゃっていますが、われわれはむしろ、詳しい説明のできないバナーという媒体で党への投票を一方的に訴えることは、『さざ波通信』の党批判の説得力を弱めることになると思っています。嫌煙家氏のこの主張はおそらく、戦術的配慮という観点にももとづいているのでしょう。今なお共産党指導部の路線を固く支持している党員層が、『さざ波通信』の党支持のスローガンを目にしたら、『さざ波通信』に少しは好意を持つようになって、『さざ波通信』の主張にも耳を傾けるようになるのではないか、という配慮があるのだと思います。その可能性は確かにあるでしょう。しかし、他方では、共産党指導部の堕落をきわめて危機的に感じている党員層にとっては、そのような無限定な党支持のスローガンは、日和見的で裏切り的なものに見えるでしょう。
 われわれのスローガンは、特定の政党や候補者への支持を呼びかけていないことで、そのような政党や候補者に自らの手を縛られることなく、そして、それらの政党・候補者のありうる裏切り行為から自らを守ることができます。それと同時に、われわれのスローガンは、小泉改革と対決すると称し護憲や革新を標榜する政党・個人に対して逆にその手を縛るものとなります。革新派の有権者は、支持を訴えてくる共産党活動家に対して次のように言うべきです。「君たちは、小泉改革と対決するといっている。憲法を守り、革新の大義を守るといっているが、それは本当か。当選したら、この約束をしっかりと守り、それを裏切らないと誓うのか」。すると、相手はこう言うでしょう。「もちろん約束は守ります。だからわれわれの党に、われわれの候補者に投票してください」。それに対し、こう言うべきです。「しかし、君たちは、前回の参院選挙でも同じことを約束したが、その後諸君は、民主党との連合政府を言い出したり、自衛隊の活用を公言したり、皇族の死に哀悼の意を表したりした。『日の丸・君が代』の法制化に手を貸した。不審船事件のときに自衛隊の『武力による威嚇』に抗議しなかった。それは、憲法を守る態度といえるのか。同じ過ちを繰り返さないと誓うのか。われわれは、有権者に対する公約を守る党に入れたいと思っている。もし共産党が本当にその公約を守るなら、われわれは共産党に入れようと思う。しかし、守れない口約束をするだけで、当選した暁には公約を裏切るような党には投票したくない」。こうしたやり取りを通じて、本当の意味での政治的な対話が起こるのです。しかし、なんだかんだいっても共産党に一票を投じることが前提で会話が始まるなら、結局、相手の受け答えは不真面目なものになるでしょう。「われわれは、現在の共産党にたくさん問題があると思っているが、今度の選挙では共産党に入れようと思っている」と言ったとすれば、相手は「そうですか、よろしくお願いします」と答えて終わるでしょう。返答しだいでは投票しない可能性があるからこそ、政治的対話は真剣なものになりうるのです。
 多くの革新派有権者がこういう態度をとればとるほど、ますます共産党に対する政治的縛りとなり、ますます個々の党員に考える機会を与え、その政治的成熟を促すことができるでしょう。われわれは、共産党の選挙活動のためにこのサイトを開いているのではなく、何よりも党員に自主的に考える機会・材料、討論する場を与えるためにこのサイトを運営しているのです。そうした目的に添ったスローガンを掲げていることをご理解ください。