2001年8月18日付、jinさんの『社会体制と精神構造』に対してです。
jinさん、フォローありがとうございました。
部落解放同盟の親戚さんの投稿(8月11日付)は、私ももちろん読みました。部落解放同盟の親戚さんが書かれた、
階級社会でなくなれば、そのような欲望は不要になります。すべての人が生活に困らなければ、他者と競争して金を得る必要もありません。階級社会特有の現象なのです。
という部分に対し、私も疑問を持つとともに、脱力しました。こういうことを何の疑問も書く人が今でもいるんだなと、レスする気持ちが失せました。
私は、jinさんの書かれた、
私も以前はそのように考えていましたが、それはあまりにも単純な話ではないでしょうか? 「生活に困らない」状況というのはどういう状況を指すのでしょうか。いま多くの人は食うには困っていませんが、競争は存在します。では、仕事も何もしなくても食うに困らない状況が生活に困らない状況なのでしょうか。しかし、物を生産する必要がある以上はそんなことはありえません。
という部分と、
また、資本主義である以上は利潤第一主義となるというのであれば、どうやって、国民が階級社会でない社会(社会主義?)を望むことになるのでしょうか? つまり社会主義にならない限り、利潤第一主義がなくならないのであれば、どうやって社会主義が実現するのでしょうか? それが私には理解できません。
という部分に完全同意です。
部落解放同盟の親戚さんの書かれた「階級社会でなくなれば」という仮定と「すべての人が生活に困らなければ」という仮定。このふたつの仮定が現実のものになること自体が大変なことなのに、部落解放同盟の親戚さんは、なんともはや、あっさりと、これらの仮定を立てています。こんな重大な仮定をあっさり立てるその神経が私にはわからない。これらの仮定は、「もし私がカールルイスみたいに速く走ることができるなら」というような、つまりは不可能な仮定であることに、部落解放同盟の親戚さん自身、気づかれていないものと思います。